『アーミッシュの赦し なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を赦したのか』 亜紀書房

「赦す」とは、どういうことなのか?
読んでいて、ものすごく考えさせられた本。

アーミッシュの赦し―なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を赦したのか (亜紀書房翻訳ノンフィクションシリーズ)

ドナルド・B. クレイビル / 亜紀書房


アメリカには「アーミッシュ」と呼ばれる人達のコミュニティがある。
18世紀にドイツから移住したキリスト教プロテスタントの一派「アナバプテスト(再洗礼)派」の人達で、宗教的理念とコミュニティの維持から、基本的に、電気、ガス、水道、自動車などを使わず、19世紀の生活をしている。

そんな彼らの学校に、非アーミッシュの男性が乱入し、銃を乱射。犯人は、その場で自殺。五人の少女が死亡する痛ましい事件が起こった。

しかし、アーミッシュは、直ちに「加害男性を赦す」と表明。
事件に無関係なアーミッシュはもちろん、亡くなった少女の家族が、次々と加害男性の家族を弔問し、慰め、援助することを申し出た。

アーミッシュのこの行動は、全米で大反響を呼ぶ。
多くは、彼らの行動を絶賛したが、中には「偽善的だ」「自己宣伝だ」「問題を直視しない行為だ」と非難する意見もあった。

彼らにとって「赦し」とは何か?
大いに興味と疑問を抱いた3人の大学教授は、アーミッシュ達にインタビュー取材を開始。彼らの行動の背景にある文化や生活様式について調査した。

アーミッシュは、新訳聖書を非常に重んじている。「赦し」の行動も、聖書の一説
「我らに罪を犯すものを我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ」

から来ている。彼らは皆、言う。
「赦さなければ、私達自身も神から赦されないのです」

彼らの「赦し」とは、まず、「復讐を放棄すること」なのである。「相手を赦す行為」によって、復讐の連鎖を防ぎ、相手と自分達のコミュニティを崩壊させないようにするのだ。

もちろん、「本心から相手を赦すこと」も、最終的には必要だが、アーミッシュも当たり前のように、怒り、恨み、嫉妬、恐怖の感情を持つ人間だ。
殺された少女の両親達は、内心ひどく苦しんでいるし、助かった少女達もPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩んでいる。

「怒るのはよくないですが、避けられるものでもない。大切なのは、恨みを抱えないこと」

「恨みを一日抱えているのは、悪いことだ。二日抱えているのは、もっと悪いことだ。一年も抱えていたら、あいつが僕の人生をコントロールしていることになる。それくらいなら、今すぐ恨みを捨てたほうがいいだろう?」


彼らは、強く葛藤する。

しかし、私は、この本を読んでいて
「怒りや恨みの解決方法は、「復讐」では決してない」
ということを思った。
親戚や顔見知りばかりのアーミッシュのコミュニティは、非常に強固で、互いに慰め合って生活している。また、アーミッシュの被害者家族と犯人の家族も、普通なら、報復しないまでも、断絶してしまいそうなのに、ずっと交流は、続いている。

相手を赦す・・・・・それは難しく、苦しく、ときには、一生以上の時間が掛かることかもしれない。
でも、そのことが間違ってはいないということを、迫害に対しても無抵抗を貫き、連綿とコミュニティを存続させてきたアーミッシュ達が教えてくれる。


<ホメオパシー的P.S.>
アーミッシュも、ホメオパシーを使っていますが、彼らの起源はドイツってことで、なるほど納得しました。

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by june_h | 2009-09-26 08:52 | 本 読書 書評 | Trackback | Comments(0)