「母 オモニ」姜尚中 著 集英社

人は口から食べて尻から出すとたい。どがん上品なことば言いよっても、そがんせんと死ぬとだけんね。人は食らうところのものばい。そして尻から出さんといかんばい。


政治学者 姜尚中さんが、母親について綴ったエッセイ。
「母 オモニ」姜尚中「母 オモニ」姜尚中
尚中さんの母、禹順南(ウ・スンナム)さんは、日本占領下の朝鮮半島で生まれ、16歳のとき、日本で働く在日朝鮮人に嫁ぐため、東京に渡る。
戦中、差別と生活苦の中、日本を転々とし、最後には、親戚を頼って熊本にたどり着いた。

戦後の混乱期、食べていくために、養豚とどぶろく作りをした。金目のものを見付けるため、どぶさらいもした。彼女の第3子として尚中が生まれたのは、朝鮮戦争が勃発した1950年だった。

尚中にとって、母親は、激しさを感じさせた。
悲しそうに「茶摘み」を歌い、「アイゴー」と叫んで、よく泣いていた。幼くして亡くなった長男の命日には、同じ在日朝鮮人の巫女を呼んで、激しく題目を唱えた。
母親の背景にある「朝鮮」は、尚中にとって、遅れていて、気味が悪くて、気持ちを重くさせる存在だった。母親を始めとした家族とも熊本弁で会話し、ずっと日本名の永野鉄男を名乗っていた。「尚中」を名乗るようになったのは、大学生のとき韓国に渡った後だった。

廃品回収業が軌道に乗ってからは、暮らし向きは良くなったが、同胞の在日朝鮮人達は、不遇のうちに亡くなった者も多かった。
二つの国に挟まれて、家族と引き離された者、行方不明になった者。
尚中の母親も、数十年間、祖国に帰ることはできなかった。帰った頃には、尚中の祖母は亡くなっていた。

母親は、勉強する機会がなかったので、文字はほとんど読めなかったが、生きるために必死で働いた。世間にまみれながら、人間について学んでいった。

オモニは世の中のことはいろいろ実地で勉強してきたけん。人のオモテもウラもわかっとるつもりたい。世の中にはよか人もおるし、悪か人もおる。情けのある人もいれば、なか人もおる。
そうばってん、どの人にも同じことは、カネが嫌いな人はおらんということたい。カネは、あるにこしたことはなか。でも、カネに汚なかこつしちゃいかんけん。困った人がおるなら、カネは使わんと。カネは使わんと、増えんけんね。

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by june_h | 2010-11-23 21:01 | 本 読書 書評 | Trackback | Comments(0)