「最終講義 生き延びるための六講」 内田樹 著 技術評論社

2011年3月、21年間勤めた神戸女学院大学を退官された内田樹先生。
退官直前に行われた6本の講演会が収録された本です。

最終講義-生き延びるための六講 (生きる技術!叢書)

内田 樹 / 技術評論社


この中では、特に
京都大学大学院文学研究科講演「日本の人文科学に明日はあるか(あるといいけど)」
が印象的でした。

教育に金勘定や「費用対効果」の概念を持ち込んではいけない。教育のアウトプットは、数字では計れない、と日頃からおっしゃる内田先生。

人の能力を伸ばすものは、罰則や褒美、社会的名誉や地位ではない。
では何か?
それを説明するために、先生は、福沢諭吉の『福翁自伝』から、彼が緒方洪庵の適塾で学んでいた時のことを書いた文章を引用しています。

しからば何のために苦学するかといえば、一寸と説明はない。前途自分の身体は如何なるであろうかと考えたこともなければ名を求める気もない。名を求めるどころか、蘭学書生といえば世間に悪く言われるばかりで、既に已に焼けに成っている。ただ昼夜苦しんで六かしい原書を読んで面白がっているようなもので、実に訳のわからぬ身の有様とは申しながら、一方を進めて当時の書生の心の底を叩いてみれば、おのずから楽しみがある。これを一言すれば…西洋日進の書を読むことは日本国中の人にできないことだ、自分たちの仲間に限って斯様なことができる。貧乏をしても、難渋をしても、粗衣粗食、一見看る影もない貧書生でありながら、智力思想の高尚なることは王侯貴人も眼下に見下すという気位で、ただ六かしければ面白い、苦中有楽、苦即楽という境遇であったと思われる。たとえば、この薬は何に利くか知らぬけれども、自分たちより外にこんな薬を能く呑むものはなかろうという見識で、病の在るところも問わずに、ただ苦しければもっと呑んでやるというくらいの血気であ
ったに違いはない。

(中略)

兎に角に当時緒方の書生は、十中の七、八、目的なしに苦学した者であるが、その目的のなかったのが却って仕合で、江戸の書生よりも能く勉強が出来たのであろう。ソレカラ考えてみると、今日の書生にしても余り学問を勉強すると同時に始終我身の行く先ばかり考えているようでは、修業は出来なかろうと思う。さればといって、ただ迂闊に本ばかり見ているのは最も宜しくない。宜しくないとはいいながら、また始終今もいう通り自分の身の行く末のみ考えて、如何したらば立身が出来るだろうか、如何したらば金が手に這入るだろうか、立派な家に住むことが出来るだろうか、如何すれば旨い物を食い好い着物を着られるだろうか、というようなことばかり心を引かれて、齷齪勉強するということでは、決して真の勉強は出来ないだろうと思う。


私、泣きました。
福沢諭吉は、寝食忘れて打ち込める何より大切な物を見つけた、この上なく幸せな人なんだと。


ちなみに、
大谷大学開学記念式典記念講演「ミッションスクールのミッション」
については、youtubeにアップされているので、無料で聞くことができます。

こちらも面白いです(^^)
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by june_h | 2012-02-17 12:50 | 本 読書 書評 | Trackback | Comments(0)