「すらすら読める蘭学事始」 酒井シヅ 著 講談社

『蘭学事始』とは、オランダ語の医学書『ターヘル・アナトミア』を翻訳し、『解体新書』を出版するに至った江戸時代の医師杉田玄白の回顧録です。
誰もやろうとしなかったことに挑戦した人々の情熱を感じました。

すらすら読める蘭学事始

酒井 シヅ / 講談社


当時、江戸幕府の鎖国政策により、西洋人との接触はもちろん、西洋の書物も厳しく制限されていました。
アルファベットが入った絵も発禁処分になるほど厳しく、唯一、外国人との接触を許されていた長崎出島の通訳さえ、オランダ語を勉強するための資料がなかなか手に入らなかったんだそうです。

ただ、8代将軍吉宗の時代に少し緩和され、西洋の知識を取り入れるために、一部の人は、オランダ人と接触できるようになっていました。
杉田玄白は、オランダの解剖書を手に入れ、実際の解剖結果と比較して、非常に正確であることに気付き、大きな感銘を受けます。そして、なんとかこの解剖書を日本語で理解したいと翻訳を決意するのです。

玄白も、協力者達も、オランダ語をほとんど知らない状態からのスタートでした。試行錯誤しながら4年かけて完成させるわけですが、その翻訳に関わった人達や彼らの苦労話が書かれています。

もちろん、翻訳に大きく関わった前野良沢のことも語られています。
前野良沢は、医術のほか、狂言やオランダ語も勉強していて「人がやらないことをする変わった人」だと思われていたようです。
彼が慎重にコツコツ正確に翻訳するのに対して、杉田玄白は、大ざっぱでも良いから早く出版したがっていたそうな。世の中に受け入れられるために、ダイジェスト版を作ったり、幕府や公家の有力者に献本したりしたことも。

前野良沢は学者タイプで、杉田玄白は編集者&プロデューサータイプだったんですね!

当時、解剖に携わっていたのは、被差別部落の人達でした。
彼らは、実際の臓器をよく見ていたので、当時の医学では知られていなかった副腎や大動脈・大静脈を指して「名前は無いがどの体にもあった」と言っているのが興味深かったです。

翻訳の協力者や弟子達は、主に、医師の息子達でした。
彼らの努力で、その後蘭学は
「一滴の油これを広き池水の内に点ずれば散じて満池に及ぶ」
ように急速に広まっていきます。

杉田玄白は、長生きしたので、彼らの死を多く見送りました。享年85。
開国される幕末は、これより数十年後です。

最後に、気に入った文章を。
今を以て考れば、是まで弐百年来、彼外科法は伝はりしなれども、直に彼医書を訳するといふ事は絶てなかりしが、此時の創業不可思議にも、凡そ医道の大経大本たる身体内景の書、其新訳の起始となりしは、不用意を以て得る所にして、実に天意とや云べし。

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by june_h | 2012-04-11 12:15 | 本 読書 書評 | Trackback | Comments(0)