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愛されなかった母と愛さなかった祖母の秘密:京都奈良パワースポット&グルメ旅行記

京都駅で友達と別れた後、妹と2人、近鉄電車で奈良へ。

近鉄電車は、思い出の電車。
大阪に住んでいた時、父の実家に行くのに、ウエロク(上本町六丁目・大阪上本町駅)から桑名まで近鉄電車を利用していました。

車内で、私は妹に、母と祖母の話をしました。

私が「おばあちゃん」と呼ぶ母方の祖母は、血が繋がっていません。
本当の祖母は、母が13歳の時に亡くなっています。もちろん私は、会ったことがありません。
私の母は、本当の祖母のことを
「とても怖い人で、私を可愛がってくれなかった」
と言います。

それは、母が幼い時の記憶。
母と、母の妹(私の叔母)と、祖母の3人で、買い物に行った時のこと。
祖母は左手に買い物かご、右手で叔母と手をつないで、歩いていました。
母は、自分も手をつないで欲しくて、買い物かごを持つ祖母の左手につかまろうとすると
「重たい!」
と言われて、祖母に手を振り払われてしまったそうです。
母は、それでショックを受けて
「私は愛されていない。妹の方が可愛いんだ」
と、それからずっと思い続けていました。

最近、母は叔母にそのことを話しました。
すると、叔母の見方は、ちょっと違っていたのです。

叔母は末っ子だったので、母よりやんちゃでした。
なので、祖母にこっぴどく叱られることが多かったのです。
祖母は、叔母をこっぴどく叱った後、決まって、非常に優しくなるのだと言います(・・・・・なんか、DV夫みたい(^^)。

私の母は、祖母が「叔母に対して異常に優しい」部分だけを切り取って見ていたのです。

幼い母にしてみれば、ショックだったのは、非常によくわかります。
私も母の立場なら同じように思ったでしょう。

でも、私はこうも思います。
私の祖母は、精神的にも体力的にも余裕がなかったんだと思います。
祖母は、病気がちで、いつもイライラしていて、30代で血圧が180もありました。
子供を産む度に体が弱くなり、3人目(未熟児ですぐに死亡)の出産後に妊娠中毒症に罹って、1年ほど子育てができなかったんだそうです。
結局、34歳の時、脳内出血で眠るように亡くなりました。

数年前、祖母が亡くなる少し前に書いていた日記が見つかりました。
「病気のせいで、娘達の相手がちゃんとできなくて申し訳ない」
と書いてありました。

・・・・・私は愛されていない。

幼い目で見ていたら、そう思うこともあるかもしれない。
でも、大人になった目で俯瞰すれば、違う現実が見えるかもしれない。

ただ、言葉が足りないだけだったのかもしれない。
何か深い理由があったのかもしれない。

私と妹も、二人並んで楽しく話しているけれど、10年近く、まともに口をきいていない時期もありました。

私の母も父とうまくいっていなくて、
「あんた達がいるから離婚できないわ」
って、よく私に言っていましたけど(笑)、今では、ぼちぼちやっています。

とりあえず、みんな、「今」に絶望して立ち止まらずに、なんとか歩いて笑えるようになって良かったね。
自分が思っているよりも、事態は意外と悪くなかったりするものです。

そして、急行は奈良に到着。
目的地は、意外と近かったりするものです。
Commented by 二華 at 2012-05-06 08:15 x
いい話ですね。ジーンときました。
子育て真っ最中の私は、おばぁちゃまの気持ちわかるなぁ~。(涙)それでもって、お母さんの切なかった気持ちにも、涙。
愛情がどれだけあっても、少しの事でかけ違える時があるんですよね。子どもは、オトナ目線にはなれないから、オトナの私が時には子ども目線にしゃがんで気持ちを汲み取ろう!って思えました。
イイ話をありがとー!今日は私、優しい母でいそう。^^
Commented by june_h at 2012-05-06 16:39
>二華さん
コメントありがとうございます。
私の母が可愛そうだったのは、誤解が解けないまま、祖母が亡くなってしまったことですね。
子育てって、本当に大変ですよね。
親とはいえ、完璧ではないので、時には、理不尽だったり感情的になったりして。
親は罪悪感を持ったり、子供は恨んだりもするでしょう。
でも、私はそれでもイイと思っています。
お互い誤解しても、それを乗り越えて理解することが大きな経験になると思いますから。
二華さんも、無理しないで、時には「母親」を休んだりして、楽しくお子さんとお過ごしできますよう、お祈りしています♪
by june_h | 2012-05-05 07:55 | 旅行記 | Trackback | Comments(2)