2012年 12月 15日
中村勘三郎さん ありがとうございました
私も彼の芝居を、まだまだ見たかったです。
歌舞伎にハマって数年。勘三郎さんの最後の数年の活動を、少ないながら目にすることができてラッキーでした。
私が最後に見た勘三郎さんの舞台は、NODA・MAP番外公演「表に出ろいっ!」。
いつもどおり、舞台の上で縦横無尽の奮闘ぶり。
その時は、こんなに早く亡くなるなんて、思ってもみなかったです。
勘三郎さんを初めて知ったのは、小学生の時に見たNHKのドラマだったのではないでしょうか。
それからは、歌舞伎役者で唯一、名前を知っている役者さんになったのです。
「歌舞伎を博物館に入れないために」勘三郎さんは、必死でした。
俳優であり、なおかつ、優れたプロデューサーでした。いろいろなアイデアでお客さんをひきつけ、歌舞伎以外の俳優やアーティストをどんどん引き込んでいきました。
元々、中村屋は、先祖が座元(芝居小屋の経営者)。自分の宿命を全うされたのです。
保守的な人達から、たくさん批判もあったでしょう。しかし、勘三郎さんは、ブレなかった。歌舞伎のため、お客さんのために捧げた一生でした。
勘三郎さんが亡くなったニュースを見て、真っ先に思い浮かんだのが「野田版 鼠小僧」の三太。
自分の欲に正直だけど、なぜか憎めない役。
いつの間にか、みんなに祭り上げられてしまい、最後は、たった一人、12月の雪の中で死んでいく・・・・・12月に亡くなった勘三郎さんと重なりました。
勘太郎改め、勘九郎さんは、
「父をどうか忘れないでください」
と言っていましたけど、言われなくたって、誰も忘れません。
勘三郎さん、たくさんの楽しみをありがとうございました。
あの世でゆっくり休んで・・・・・なんてしないと思いますので(笑)、またこの世に楽しませに来てくださいますよう、お祈りしています!