鴻上尚史のごあいさつ「幼児虐待のニュースと想像力」@キフシャム国の冒険

鴻上さんの舞台の楽しみの一つに、鴻上さんの書く「ごあいさつ」があります。

「ごあいさつ」は、鴻上さん直筆の大学ノート2ページに渡る印刷物。
上演される芝居に関して鴻上さんが考えてきたことが書かれています。

上演中の空き時間に書いているそうなので、初日から数日は無いのですが、ほぼ毎回、配られるチラシと一緒に手にすることができます。

この「ごあいさつ」は、結構人気で、これをまとめた本も出版されています。もちろん、私も持っています♪。

「キフシャム国の冒険」で配られた「ごあいさつ」を開演前に読んで、私は、頭も感情もグチャグチャになりました。
私の隣に座っていた母娘の母親は、この「ごあいさつ」を小さい娘に読み聞かせていました。

人の心に寄り添った経験がある人、これから経験するかもしれない全ての人に、わかっていて欲しいことです。

※著作権の都合上、全文ではなく、抜粋しています。

子供を持つまでは、幼児虐待のニュースは普通に見られました。子供の死亡のニュースは、大人の死亡のニュースと同じく、どちらも哀しくつらいものでした。
ところが、子供ができると虐待のニュースは痛くて痛くて、聞くことも見ることもできなくなりました。「育児に疲れ、どうやって子供を殴り、どんなふうに死なせたか」なんてニュースを読んだり見たりするエネルギーも勇気も出なくなるのです。

(中略)

ただ子供をもつだけで、こんなにもニュースの印象とインパクトが違うのかと愕然としました。

(中略)

僕は作家です。30年以上、想像力で物語を創ってきました。想像力が僕の武器だと思ってきました。
なのに僕は、具体的に子供を持つまでは、育児疲れも夜泣きも幼児虐待も子育ての大変さも、本当の意味では理解していなかったのです。

(中略)

子供を持って初めて、人間の想像力なんてたいしたことないじゃないかと僕は知ったのです。

だから僕は思います。

あの人の哀しみもこの人のつらさも、本当のことは誰にも分からないのだろうと。
いじめられている子供のつらさも、愛する者を失った人の哀しみも、裏切られた人の絶望も、具体的に同じ立場に立たない限り、リアルには分からないだろうと。
けれどそれは哀しいことだけではないと、貧困な想像力で思います。それは、哀しみと同時に勇気をくれることだと。
相手が理解してくれないこと、自分が理解できないことは、ただ、同じ立場に立ってないということを示しているだけなんだ。だから、相手は冷酷でも無関心でも無神経でも冷血でもなく、ただ同じ立場に立ってないから同じ感覚を持ってないだけなんだ。そう思えることは、哀しみと同時に生きていく勇気をくれるのです。

目の前に、激しい哀しみを持った人がいたら何ができるだろうと考えます。
想像力ですべてが乗り越えられるとは思わないことと、何もかもが癒せると思わないことは、似ているような気がします。
世の中には癒せないものがある。世の中には慰められないものがある。どんなにがんばっても、どんなに必死になっても、どんなに命をかけても届かないものがある。伝えられないものがある。

そう思うことは、やっぱり哀しみと同時に勇気をくれるのです。
届かないこと、癒せないことが当たり前なら、悲しんでいる時間に、もう一度声をかけてみようかと思えるからです。
それはきっと、あなたの哀しみを癒せないけれど、あなたの哀しみをほんの少し休ませたいと思うことと似ているような気がします。

(後略)


なんて深くて力強い文章だろう!
私に、絶望と同時に希望をくれました。

でも、この文章がくれたショックは、それだけではないような気がしました。
読んだ直後は、よくわからくて、ただただ、涙が溢れてしょうがなかったのですが、時間が経って、だんだんわかってきました。

今の私が、一番、必要としていた言葉だったんだと。

ここ最近、戸惑うことが、立て続けに起きていました。

・・・・・あまりにも、自分に中身が「似ている人」ばかりに出会い過ぎている(^^;

ネガティブな自分は、気が合う人ばかりで嬉しいわ♪とは、とても喜べず(笑)。

今までの経験上、「似ている人」と付き合うのは、「全然似てない人」と付き合うより、かなり難しいと考えているからです(^^;;;

所詮、「似ている」だけで、自分とは育ってきた環境も経験も違います。「全く同じ」じゃないんです。
でも、「似ている」と「同じ」だって、よく勘違いしちゃうんです。

そうすると、ちょっとした「違い」が許せなかったり、強いショックを受けたり。
タチの悪い「同族嫌悪」みたいになっちゃったり。
自分の「嫌い」な部分が似ていると、余計にイヤになったり(^^;

あと、「似ている」と「理解してくれる」を勘違いすることもあります。
相手が自分と似ているからって、自分を理解してくれるとは限りません。
やっぱり、理解して欲しいことは、お互いちゃんと話さないとダメ!
話さなくてもわかってくれるということは、あり得ないのです。

「似ている」と、お互い過剰に相手に期待してしまうから、私は、似ている人ほど付き合うことに慎重になります(笑)。

鴻上さんの文章を読んで、私は、心底救われたのです。

もう、相手を理解しようと過剰に必死に一生懸命に努力しなくてイイ。
だって、相手と私の立場は同じじゃないから、全部はわからない。
わからないことはわからない。

相手がわかってくれないからって、怒ったり憎んだりしなくてイイ。
だって、相手と私の立場は同じじゃないから、全部はわからない。
わからないことはわからない。

それでイイじゃん!

「わからないこと」「できないこと」は、必ずあるけど、「わからない」「できない」とわかったときから、できることが見えてくる。

今まで散々、悩んできましたが、答えはシンプルでした。
鴻上さん、ありがとう♪
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by june_h | 2013-06-10 08:29 | 観劇 観戦 コンサート レポート | Trackback | Comments(0)