「国母の気品 貞明皇后の生涯」 工藤美代子 著 清流出版

大正天皇皇后 貞明皇后(九条節子)の生涯。

国母の気品―貞明皇后の生涯

工藤 美代子 / 清流出版


当初、お妃候補は、宮家の姫君だったという。
しかし、後の大正天皇となる皇太子は、病弱で、跡継ぎを生むべき妃殿下は、何より健康な女性である必要があった。
そこで白羽の矢が立ったのが、公家名門の一つ、九条家出身の節子(さだこ)だった。
節子は、幼少期に農家に預けられていたこともあり、健康で活発な女性だった。

15歳で皇太子妃となり、16歳で後の昭和天皇となる長男を出産。
4人の皇子の母となった。

今でも、皇族として生きることは、大変な重圧を伴うが、病弱な天皇を常に補佐しつつ公務をこなし、息子達の教育にも気を配らなければならなかった。
心労から、腸チフスになったこともあるという。

関東大震災は、日光で静養していたため、助かった。
大きな揺れに、女官達が騒ぎ逃げ惑う中、皇后は平然と、天皇を抱き上げ、落ち着き払って避難した。
例年なら、夏は葉山で過ごしていたが、震災で全壊したという。

その3年後、大正天皇崩御。
これに伴い、皇太后となった節子は、まだ42歳だった。

長男の昭和天皇の皇后である香淳皇后とは、折り合いが悪かったのではないかと言われている。
香淳皇后は皇族出身。
貞明皇后は、九条家出身ながら、正妻の娘ではない。
立場の上下が難しくなるし、香淳皇后の家系的な病気を問題視して、強硬に反対した。

民間人なら、嫁姑問題は、家族内の問題だ。
しかし、皇族となると、家格の問題や、政治的な勢力争い、ひいては、国全体が関わってきてしまうのである。
昭和天皇以外の親王達の妃は全て、会津出身者や幕臣、徳川家から選び、「朝敵」への配慮を見せた。

戦後も一貫して、崩御するまで、皇室に大きな影響力を持っていたが、政治力のある「女帝」というより、あらゆる配慮の行き届いた方という印象。
客をもてなす際は、客の好みを細かく調べ、一人として同じもてなしは、しなかったという。

明治から、戦後、今日に至るまでの「皇室の在り方」に大きな影響を与えた方である。

あとがきを読んで驚いた。
この著書は、ある明確な「目的」を持って書かれていた。
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Commented by leon43 at 2015-03-01 21:30
明確な目的が気になります・・・・
Commented by june_h at 2015-03-01 21:40
>Leonさま
ある方を諌める(批判する)ために書かれているんです・・・・・。
Commented by REI at 2015-03-07 09:30 x
…想像はつきましたが、やっぱりあの方ですね。
Commented by june_h at 2015-03-08 08:55
>REIさま
御推察のとおりかと思います。
by june_h | 2015-02-27 12:46 | 本 読書 書評 | Trackback | Comments(4)