2015年 10月 21日
「私はなぜイスラーム教徒になったのか」 中田考 著 太田出版
そして、中田先生の生い立ちも。
手に取って良かったです(^^;
中田先生は、母方が神主の家系なんですね。
どの宗教を学ぼうか迷っていたそうですが、「論理的整合性がある」という理由でイスラム教に決定。
東京大学文学部のイスラム学1期生で、後にイスラム教に入信しました。
エジプトに留学した際、やはり、ムスリムになった日本人女性と結婚。
先生は、現地のムスリムと交流していく中、「論理的整合性がある」ということで、サラフィー主義に傾倒していきます。
一口にイスラム教と言っても、いろいろな派閥や考え方に分かれています。
大きく分けて、スンナ派とシーア派がありますが、それぞれの派閥も、いろいろ分かれているようです。
私がイスラム教徒に生まれていたら、スーフィズムにハマるかも(^^;
サラフィー主義は、過激な思想に通じるということで、危険視されているようですが、先生の家に出入りしていたサラフィー主義の若者は、精神性が日本の侍のよう。
清烈な生き方に目頭が熱くなりました。
先生は、言います。
「自分が世界を見ている枠組みそのものを疑わないと、長い時間をかけてアラビア語を学んでも、同じものしか見えないんです。」
日本人は、欧米的(特にアメリカ)の見方が染み付いてしまっていて、
「欧米は自由で優れていて、中東は抑圧的で劣っている」
ということを、学者すら信じて疑わないんですよね。
民主主義と言っても、実際に行われているのは、制限選挙寡頭制だし(^^;
見方が固定されていると、新しい価値は見えて来ないと先生は言います。
先生の言葉を読んでいて、大学時代のアラビア語の授業のことを思い出します。
私がよく、頭の悪い質問をして、チュニジア人の先生に
「常識を疑いなさい。常に問題意識を持ちなさい」
と、言っていましたから。
最後に、先生の学生達が何人か、先生の印象を語っていました。
「研究の緻密さと普段の生活のギャップがすごい」
先生の部屋は散らかっていて、パソコンの使い方もよくわかっていないらしい(^^;
それから、プロレスとかマンガとかお好きなんですよね。
先生の奥さんの香織さんは、同じく研究者でしたが、亡くなられたんですよね。
香織さんの著書を読んで、中田先生を訪ねて来た女子学生に、先生は、こう言いました。
「自分は妻がどこへ行ったかずっと考えていた。でも、あなたは知識という形で妻の命が続いていることに気づかせてくれた。だから、あなたを同志社大学の最後の生徒として責任を持ってイスラームを教えます」
泣けました。