『黄海道の涙-引き裂かれた母と娘の六十年-』 山田寛 著 中央公論新社

昭和7年。横須賀の裕福な豆腐商人の娘、小泉芳子は、東京の女学校に通っていた。ある雨の日、傘を忘れて濡れながら帰っていると、一人の男子学生から傘を差し出される。この瞬間、芳子の数奇な運命が回り始めた・・・・・。

黄海道(ファンヘド)の涙―引き裂かれた母と娘の六十年

山田 寛 / 中央公論新社


男子学生の名は、金豊瑞。法政大学の朝鮮人留学生だった。当時の朝鮮半島は、日本の支配下にあった。二人は間もなく恋に落ち、結婚。芳子には婚約者がいたが、親の敷いたレールの上で生きるのはゴメンだとばかり、豊瑞の子をさっさと妊娠して親を黙らせ、豊瑞と朝鮮半島に渡ってしまう。

豊瑞の実家の、大きな屋敷に着いて驚いた。彼は、黄海道(現在の北朝鮮領内)に広大な領地を持つ、両班(李氏朝鮮時代の貴族)の嫡子だった。
そして、もっと驚いたのは、既に彼には妻子がいたこと。芳子は第二夫人だったのだ。
文化や言葉の違い、そして夫の女性問題に苦しんだが、四人の子供に恵まれ、婚家の莫大な財力によって、物資不足の戦時中も、豊かに暮らすことができた。

しかし、日本の敗戦によって、彼女と家族の苦難が始まる。
芳子は、ソ連の軍施設に収容され、家族と離ればなれに。生まれて間もない末娘は乳母に預けられ、いわゆる「北朝鮮残留孤児」となってしまう。芳子の他の子供達は、豊瑞と彼の愛人女性に引き取られるが、待っていたのは、愛人による地獄のような虐待の日々だった。そして、朝鮮戦争が勃発する。
芳子はソ連軍施設を脱出し、中国を転々としながら潜伏生活を送る。家族の住む黄海道は、朝鮮労働党支配下にあり、日本人だとわかれば殺されるので戻れない。
やがて、母親を探しにきた長男と再会。二人で日本に帰国する。

豊瑞と芳子の残りの子供二人も、ブルジョア階級出身者かつ日本人の関係者ということで、とても無事ではいられない。一族総出で韓国へ脱出。芳子の子供二人はようやく日本に帰国。芳子と再会できた。

芳子は女手一つで家族を食べさせていくために、駐日米軍人を相手に商売を始め、大成功。忙しいながらも、家族で協力しながら戦後を生き抜いたが、ただ一つ気がかりだったのは、北朝鮮に残してきた末娘のことだった。

拉致問題はおろか日本人妻帰国問題も解決していない今日まで、北朝鮮残留孤児の問題が議題に乗ることはない。芳子も、末娘が帰国するまでは死なないと言っていたが、2004年12月、望みが叶わぬまま亡くなった。

豊瑞を取り巻く他の女性達も皆、劇的な生涯を送った。
李王家につながる名家出身の第一夫人は、政略結婚だったため、豊瑞にほとんど相手にされなかったが、豊瑞の女性問題に苦しむ芳子を優しく労り、虐待を受けていた芳子の子供達を、命がけでかばったこともあった。一族が韓国へ脱出したときも一人、親戚の老女の看病をするために残り、その地で誇り高く亡くなった。
豊瑞の愛人は、芳子の子供達だけでなく、周囲の者にもつらくあたったため、人々に恨まれ、第一夫人の息子によって偽の密告をされる。そして最後は捕らわれ、処刑されてしまう。

豊瑞自身は気前がよくて優しい男だが、自分で働くということを知らないボンボンで、財産を失ってからは愛人女性達に頼りきりだった。芳子の子供達がひどい虐待を受けていても、ただ見ているだけだった。
そんな父を、芳子の子供達はずっと恨んでいたが、芳子自身は、後に夫についてこう語った。
「お父さんは最後の両班だったから仕方ないのよ」



芳子のバイタリティに引っ張られるように、久しぶりに一気に読んだ本だった。恋愛結婚も珍しかった時代にできちゃった結婚をして、お嬢様育ちなのに、戦後は死ぬまで働通しの人生。途中、末娘を探すために、まだ国交がなかった韓国に密航するなど、家族のためならどんな危険もかえりみない、どんな苦労も厭わない女性だった。

今まで「中国残留孤児」については多く語られてきたが、「北朝鮮残留孤児」についてはほとんど知られていなかった。拉致問題や核問題の影に隠れてしまったせいもあるかもしれない。
現在、日朝関係は、拉致問題を盾に膠着状態だが、進展しない外交関係の裏で、日本人妻を含めた北朝鮮国民の、絶え間ない脱北と餓死が続いているのは間違いない。

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by june_h | 2007-11-21 21:06 | 本 読書 書評 | Trackback | Comments(0)