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【ドイツ映画】マンデラの名もなき看守

忍耐、忍耐、忍耐の末に、信念を貫いた南アフリカ大統領、ネルソン・マンデラと、良心を貫いた彼の看守の物語。
素晴らしい映画でした。

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黒人と遊びながら育ったため、現地語であるコーサ語を解したことから、マンデラ付きの看守になったグレゴリー。彼も妻も、出世ができるチャンスだと大喜びします。
黒人を野蛮なテロリストだと考え、最初はマンデラに高圧的に接していたグレゴリーでしたが、彼の人柄と境遇を知り、黒人を差別的に扱うことに対して、疑問を持つようになります。

ある日、面会に訪れたマンデラの妻に、チョコレートを渡したことが上官に知られたため、グレゴリーの生活が暗転します。「黒びいき」だと、仲間の白人に嫌がらせを受け、出世の道は絶たれ、彼の妻も白人奥さん連中からつま弾きに。テロで被害を受けた白人に逆恨みされるなんてことも。

こうしたストレスに耐えられず、看守の仕事を辞めようとしますが、彼をマンデラの重要なパイプ役と見なしていた上層部は、それを許しませんでした。グレゴリーは以後二十年近く、マンデラに関わる仕事を続けることになるのです。

アパルトヘイト政策とマンデラの監禁を続ける南ア政府に対し、国際的な批判が強まり、ついに釈放されるマンデラ。
二十年ぶりに奥さんと抱き合うシーンに、涙が止まりませんでした。

監獄の外では、黒人達のデモや暴動やゲリラ活動が頻発していましたが、この映画ではほとんど描かれることなく、監獄とグレゴリー家の日常が淡々と語られます。

ずっと閉じ込められているマンデラも大変でしたが、グレゴリーもよく耐えたと思います。
彼の奥さんは「ごく普通の南アの白人」でしたから「あんな恐ろしいテロリストに肩入れして何やってんの?出世はどうなるの?生活はどうするの?」と旦那を責めるわけです。
彼同様、家族も忍耐を強いられたのです。

グレゴリーの息子が交通事故で亡くなったとき、グレゴリーは「たくさんの黒人を殺した報いだ」と言って鬱状態になります。
彼は、マンデラの手紙を検閲する仕事を通して知ったテロリストの情報を公安に伝えていたので、自分が直接手を下したわけではないけど、深い罪悪感に十数年苦しんでいたわけです。そこでも涙が止まりませんでした。

マンデラ釈放の日。グレゴリーは、准尉から少尉にようやく昇進。別れる前、彼は、自由憲章のコピーと共に入れておいたお守りを、胸ポケットから取り出してマンデラに手渡します。小さいとき、黒人の友達からもらったお守りでした。どんな苦境に遭っても、彼が人間らしさと良心を失わなかった大きな証です。


<関連リンク>
「マンデラの名もなき看守」(公式ページ)
「マンデラの名もなき看守」(映画詳細、映画館情報)
Tracked from かえるぴょこぴょこ CI.. at 2008-06-09 22:05
タイトル : 『マンデラの名もなき看守』 Good-Bye Bafana
静かな感動が染みわたる。 刑務所の看守として働くジェームズ・グレゴリーは、1968年、ケープタウン沖のロベン島に赴任し、政治犯として投獄されていたネルソン・マンデラの担当看守になる。94年には南アフリカ初の黒人大統領となったマンデラが、アパルトヘイト政策下に反政府運動の活動家として捕えられて27年間の獄中生活を送った際に、マンデラと関わった看守がこの物語の主人公。どこがどうして名もなき看守なのかさっぱりわからない、看守の名前はハッキリくっきりジェームズ・グレゴリー。名前は劇中で語られるけれど、一...... more
by june_h | 2008-06-09 20:51 | 映画 感想 | Trackback(1) | Comments(0)