『私の身体は頭がいい』 内田樹 著 文藝春秋

我が心の老師、内田樹さんの、主に身体論を中心にしたエッセイ。

icon
icon
世間では近ごろ、脳科学が大流行りで、養老孟司先生や茂木健一郎先生なんかがメディアで引っ張りだこ。
でも、人間の体は、脳だけがミソじゃない!(←さむっ)身体だって、あるんだゾ。

そもそも、脳と身体を分けて考えるのって、おかしいと思うんですが、身体ってわかりにくいし、わからないことだらけなんで、後回しにされちゃっているだけで、ちゃんと調べてみると、面白いこと、いっぱいわかると思うんです。

養老孟司先生も
「人間の意識はたかだか数十年の記憶しか持たないが、身体は数十億年の記憶を持っている」
なんて、おっしゃっています。

私が今回、スゴい!と思ったのは、「非中枢的身体論」。

柳生宗矩の『兵法家伝書』には「病気の事」としてこう書かれています。
「かたんと一筋におもふも病也。兵法つかはむと一筋におもふも病也。習のたけを出さんと一筋におもふも病、かからんと一筋におもふも病也。またんとばかりおもふも病也。病をさらんと一筋におもひかたまりたるも病也。何事も心の一すぢにとどまりたるを病とする也。
凡そ病とは、心のとどまるを云ふ也。仏法に、是を着(ぢゃく)とて、以ての外きらふ也。心が一所に着しとどまれば、見る所を見はづし、思ひの外に負を取る也。」

日本の武道では、相手に対して恐怖心を抱いたり、力を出そうとして緊張したりする、つまり「執着する(こだわる)」ことを「居着く」と言ってとても嫌いました。また、必要以上にこだわることが「病気」につながるって、わかっていたんです。

では、どうやって「居着き」を防ごうとしたのか。

人が意志をもって身体を動かす「上意下達」のシステムだと、動くまでタイムラグが発生するし、相手にも動きを読まれて不利になる。
そこで、脊髄反射?というわけではないけれど、意志無しに身体の部分部分に動きを委ねるように訓練すればよい、という理屈です。内田先生は、このことを「身体を細かく割る」とおっしゃっています。

では「身体を割る」には、どうしたら良いか?・・・・・その訓練法が、瞑想法であり、呼吸法であり、型稽古だったんです。
「型にはめる」ということは、「個性を殺す」っていうネガティブな行為ではなくて、「自我」と身体を切り離して、身体能力を最大限に発揮するためのものだったんです!
これがわかると、日本の武道はもちろん、茶道も華道も能楽も、「型」を大切にしている理由がよくわかります。

例えば、身内が亡くなって悲しんだりする「自我」に、身体が振り回されて寝込んだりすると、それだけで身体能力が落ち、生活環境が厳しい状況なら命取りになる。これを防ぐために、日頃から身体に「型」を染み込ませて、ニュートラルに動けるようにしておく。

優れたアスリートや武道家がルーティンを大事にするのがわかります。
そして、日本の武道って、人を倒すためではなく、人を生かすためにあったんだと実感します。

また、「自我」から完全に解き放たれた状態が、身体能力を最大限に発揮できる状態なので、
「敵を忘れ、私を忘れ、戦うことの意味を忘れたときに、戦う者は最強となる。」
ということになります。
「無敵」って、「自分より強い敵がいない」状態なんじゃなくて、文字通り「敵という存在が無い」状態なんです・・・・・あたし、うまく説明できているかしら。

しかし、幕末に入り、西洋の文物や思想が取り入れられた際、日本の武道は、このことをうまく説明できませんでした。

そのため、瞑想法や呼吸法の訓練は廃れ、身体を「鍛える」ための型稽古が重視されました。
さらに戦後、武道がスポーツ化し、「勝敗」に重きが置かれることにより、本来の目的からどんどん外れていくことになったのです。

んで、私は思った。
今の教育や社会は、必要以上に自我を強めている。これは、私達の身体や生命力を、結果的に弱めていることになるんじゃないか・・・・・。

ほんと、身体ってスゴい!内田老師はスバラシイ!
なんか今回は、うまく説明できている自信が無いので、是非皆さん、読んでみてね(^^;

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村
[PR]
トラックバックURL : http://juneh.exblog.jp/tb/9809076
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
by june_h | 2009-06-02 20:49 | 本 読書 書評 | Trackback | Comments(0)