2009年 07月 04日
「さとし わかるか」福島令子 著 朝日新聞出版
東京大学教授、福島智さん。9歳で視力を、18歳で聴力を失った福島さんは、盲聾者として初めて大学に進学。さらに、初めて東大の教授になりました。
この本は、指点字の考案者で、福島智さんの母親、令子さんのエッセイです。
てっきり、指点字の事を中心に書かれていると思ったら、彼が生まれて盲聾者になるまでの「闘病(院)記」が中心でした。
難病ということで、幼いときからステロイドをはじめとする薬を大量投与され、手術を何度も経験。眼球注射や鼓膜切開など、読むに耐えられないほど痛いことばかり。
また、信じられないことに、主治医でない医師が、両親や他の医師に無断で眼球を手術したことも!しかも、他の医師は「派閥」のしがらみで、このことを両親に口止めする始末。今なら間違いなく裁判沙汰。もちろん、著者も強い憤りを感じています。
また、本人の智さんと看病する母親はもちろん、他の家族の苦労も大変なもの。
母親は、智さんに付きっきりなので、他の兄弟達の面倒をほとんど見られませんでした。また、彼女の夫とも、折り合いが悪くなることも。
最後は、現代医学では良くならないということで、食事・運動などの民間療法にも頼ったようですが、結局、良くなることはありませんでした。
視力も聴力も奪われ、家族も不仲。指点字は、そんな「どん底」の中で生まれました。
指点字で
「さとしわかるか」
と、さとるさんに伝えたところ
「ああ、分かるで」
と、答えが。
令子さんは、ヘレン・ケラーが「ウォーター」を認識したときのような喜びがわいてきたそうです。
当の本人の智さんは、病気に苦しみながらも、明るく、ユーモアたっぷりに生活し、学校でも病院でも人気者でした。
この印象は、今も変わっていないようです。
最後に、智さんが上京して寮生活をしていたとき、寮を出たいと両親に懇願する手紙から。
「僕は冒険がしたい。無茶ができるのは若い証拠ではないか。黙って無茶を許してくださいませんか。
僕は好きなほうに賭けたい。もし意に添わぬほうに賭けてそれなりの成功を収めたとしても、かならず後悔が残ると思う。
同じ後悔(たとえば失敗した場合)でも好きなほうに賭けてだめだったのなら、それは次に続くものになるはずです」
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