『熊谷陣屋』の熊谷直実は、初代中村吉右衛門の当たり役。
そして、歌舞伎を救ったアメリカ人、フォービアン・バワーズのために、彼が病身をおして演じたという、伝説の演目!
当然見なきゃ!

もちろん今回、直実を演じるのは、我らが播磨屋、二代目吉右衛門さん♪
吉右衛門さんは、雄壮な時代物の主役が良く似合う、恰幅の良い体型。直実の裃姿は、本当に美しい!
『熊谷陣屋』の代名詞、長袴を階に垂らした「制札の見得」を見事に決め、客席からは「大播磨!」の掛け声が!私ももちろん拍手!!

でも、私の心を捉えて放さなかったのは、この場面ではなかったのです。

直実は、主君、源義経の思いを察知し、敵将 平敦盛を救うために、我が子を犠牲にします。
我が子の首を主君の前にヌッと突き出す直実。
義経には誉められ、敦盛の母や家来には感謝されるけれど、直実は出家を決意。僧形に改めます。
皆の前では、ポーカーフェイスの直実でしたが、悲しみにくれる妻を振り切り、一人、花道に佇み、足早に去っていくラストシーンは、涙を誘います。
まさに、我が子の菩提を弔うための、自分の罪を赦すまでの、長い長い孤独な旅路が、始まろうとしているシーンなのです。彼の心中を思うと胸が詰まります。


時代物は、自分の子を犠牲にして、主君の思いを遂げる話が多い。
あらすじだけ読むと、
「さすが昔の日本人!滅私奉公で主君に仕え、自分の子供の命なんてどうでも良かったのね」
なんて思ってしまうけど、実際の芝居を見るとそうじゃない、むしろその逆ってことがよくわかる。
なぜなら、芝居の主眼が、忠義ではなく「我が子を失った親の悲しみ」に置かれているから。

当時の人達にとって、自分の意思ではどうにもならない理不尽なものとして、厳しい身分差別と人の生死とがあったと思う。

為政者を倒して日頃の鬱憤を晴らすような芝居でも作れば、お客は大喜びするだろうけど、そんな芝居を作ったら、幕府からお咎めを受けてしまう。
そこで、表向きは忠義を礼賛するような芝居を作って、つらい奉公で苦しむ登場人物に対して、客の共感を誘うようなアプローチにしたのではないかしら。

それから、昔は今よりも、子供が無事に成人する割合が低かった。
だからといって、今よりも、子供を失った悲しみが浅いというわけでは、決してなかったと思う。
たぶん、今よりもずっと、子供の死が身近にあって、我が子を失う悲しみは、多くの人たちが体験していて、皆で共有&共感できた感情なんじゃないかな。
だからこそ、こうした芝居が、数百年もの間、ずっと続いてきたんじゃないかな。
そんなふうに思います。

子供を殺す芝居だけど、それだけ子供を大事に思っていたことのウラ返しなのだと思う。
民俗学者の宮本常一も「日本人ほど子供を大事にしていた民族はいない」と言っていたしね。
歌舞伎を通して、そのことがよくわかったような気になりました。

そんなわけで、時代物の主人公は、精神的に結構キツいのが多いみたい。
吉右衛門さんは、時代物が多いから、本当に大変だと思います。応援してます!!


P.S.
芝居中にハプニング!
芝居のキーアイテムである「あるモノ」がパカッとはずれて、黒子さんは大慌て!シリアスな場面なのに、笑いが起こってしまいましたとさ。


<関連リンク>
秀山祭九月大歌舞伎
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by june_h | 2007-09-05 21:02 | 歌舞伎 鑑賞 | Trackback | Comments(2)