カテゴリ:本 読書 書評( 576 )

この本の存在はずっと知っていましたが、今まで敢えて読むことを避けてきました。なぜなら、私は村上春樹の作品をほとんど読んだことがなかったからです。
最近、河合隼雄さんが亡くなって、久しぶりに彼の著書を読もうと図書館に行ったとき、たまたまこの本だけがありました。
ここで出会ったのも何かの縁、読んでみることにしました。
「ぼくは何をしているかというと、偶然待ちの商売をしているのです。みんな偶然を待つ力がないから、何か必然的な方法で治そうとして、全部失敗するのです。ぼくは治そうとなんかせずに、ただずっと偶然を待っているんです」

今になって、今だからこそ、河合隼雄さんのこの言葉の意味が良くわかります。
まず、本物の療法家は「オレの技術はスゴいんだ」「オレが治してやったんだ」なんて言わないこと。「患者自身の力で治るものだ」と言います。このへんの違いが、信用できる療法家を選ぶポイントかもしれません。

「患者自身の力で」なんて、無責任にも聞こえますが、その人の体は、その人自身が知っているものだし、いくら周りが頑張ったって、本人が治ろうと思わなければ治らないわけで。療法家は、患者が治る手助けしかできないのです。

んで、さらに、河合隼雄さんは、一歩進んで(?)「治る偶然を待っている」なんて言う。
ここまで言えるのは、ある意味スゴい。だって、療法家なのに「治そうとしない」なんて言ってるんですから。

私は数年間、心身の不調に悩まされ、あちこちの医者や、いろんな治療を試しても全然うまくいかず、「私って一生このままなのかしら」って絶望した時期もあったけど、ある偶然をきっかけに、ウソみたいにペロッと治ってしまった。「なんでやねん!」って突っ込みたくなるほどに。

「我慢する」でもなく「何もしない」でもなく、ただひたすら「待つ」ということの大切さ。
そういえば、世の中便利になり過ぎて、「待つ」っていう行為をあまりしなくなったし、ナイガシロにしてたなあ、なんて、振り返って思います。
療法家がすべきことは、治る時期が来る日まで、患者さんが「上手に」待つ手助けをすることなのかな、なんて思いました。

この本が出たのは、1996年。二人の関心と話題の多くは、阪神大震災とオウム真理教に向けられていました。そういえば、村上春樹の作品の中で、私が唯一読んだことがあるのは、オウム信者とのインタビューを軸にした『約束された場所で』でしたっけ。
私がこの本を読んで、当時、感じたのは、すごく乱暴だけど「オウム信者になるかどうかは、その人が信じる「何か」が、オウムの中にあったのか、それ以外にあったのか、ただそれだけの違い」ってことでした。今読んだら、どう思うかはわからないけど。

二人の対談から、10年以上経った今。
今、二人が対談したとしたら、どんなことを話題にするのだろう。
そんなことを思いました。



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by june_h | 2007-08-08 21:07 | 本 読書 書評 | Trackback | Comments(2)

落語家の春風亭昇太と林家たい平、そして、世界を相手にしている下町の小さな企業の社長や、職人さんとの鼎談集。大企業の社長の自慢話が多い、日経新聞の「私の履歴書」の話なんかより断然面白い、仕事に人生と哲学を賭けたオヤジさんたちの、コダワリの武勇伝が詰まっています。

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「日本人に対して英語の注文書を送ってくるとは何事だ!」と怒ったところ、ライカの社長から、たどたどしい日本語の手紙がきたという光学機器メーカーの社長さんの話。
エリザベス女王から依頼を受けたイギリス政府から、ターンテーブルの注文が来て、390万円の見積もり書を送ったら「女王陛下はポンドがお好きです」と言って390万ポンド(9億円)に書き直された契約書が届いたという、オーディオメーカーの社長さんの話。
ドラマみたいに面白い話ばかりで、面白くて、電車の中で何回も笑っちゃった(^^;

こんな話があるのも、それだけ魅力的な技術と愛されるモノ造りをしているからなんだよね。

どんな小さな会社でも、無名な職人でも、優れた技術を持っているとわかると、必ず嗅ぎつけて最初にやってくるのはユダヤ人だそうな。サスガです。ある社長さんは「世界の黒子」と表現していました。

この鼎談集が連載されていた雑誌は「サイゾー」。
わりとスタイリッシュな体裁の雑誌なんだけど、中身はそこいらの週刊誌よりエゲツない。でもなぜだか立ち読みしちゃう雑誌。

鼎談をベースにライターさんが文章をまとめたのだと思うのですが、昇太とたい平がボケたりツッコんだり、テンポよく読みやすい仕上がりになっています。

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by june_h | 2007-07-19 21:17 | 本 読書 書評 | Trackback | Comments(0)

会社の新人の女の子が「読みたい!」というので貸し始めました。久しぶりに本棚を開けたらば、最近買っていないことに気づき、慌てて最新巻を買い揃えました。

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主人公の飯島律は、幽霊や妖怪が見える大学生。その能力ゆえに、彼が望んでいなくても、日々、幽霊や妖怪と関わらざるをえない。
彼の不思議な能力は祖父譲り。彼の血を受け継いでいる律の親戚達もまた、幽霊や妖怪が見える人ばかり。巻が進むにつれ、律の不思議な親戚達がどんどん登場する・・・・・。

律の周囲で息づく、怖いけど愛嬌があって憎めない妖怪たち。彼らの存在が、人間の業や情念と絡み合うとき、物語が生まれます。
禁断の力や術を使い、愛する人をこの世に戻そうとして、取り返しのつかない悲劇を招いたり、妖怪を操って巨万の富を得ても、最後は手痛いしっぺ返しを食らったり。
人間の足元で揺れる影。開かずの間。みんな知ってるけれど決して誰も口にしない秘密。

幽霊や妖怪がたくさん出てくるけれど、実は、人間の情の深さや愚かさの物語だったりします。
決して、ただのホラーではありません。
幽霊の残した想い、妖怪達のつぶやき、人間達の叫びが、読む人の心に残ります。

基本的に一話完結。でも、話の構成が複雑で、一度読んだだけでは内容がよく掴めません。最後の方まで読んで「あ、この人、幽霊だったんだ」とわかって、もう一度読み返したり。悪い意味ではなく、何度でも楽しめる漫画です。

ちなみに、新人の女の子は「尾白と尾黒(文鳥の妖怪)がカワイイ!」とのこと。著者さんは、文鳥がお好きみたいで、文鳥の漫画も出しています。

<関連リンク>
今市子(ウィキペディア)

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by june_h | 2007-07-13 21:27 | 本 読書 書評 | Trackback | Comments(0)

民俗学者の宮本常一と、彼を経済的に支えた実業家、渋沢敬三の物語。

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とにかく二人ともスケールがデカい!

宮本常一は、フィールドワークのために日本各地を歩き回り、宮本常一の足跡を赤く塗りつぶすと日本列島は真っ赤になる、と言われるほどの人。
机上の空論ばかりを書き並べる学者とは違い、生涯のほとんどを旅に費やした彼は、徹底して足で取材し、名も無い人々の声に耳を傾け、肌で感じ、体で経験しながら、膨大な資料を残したのです。
「日本を支えているのは最下層の人たちだ」と、被差別部落や貧困に苦しむ集落に深い理解を示し、辺境に住む多くの人々に誇りと自信を与えたと言います。

渋沢敬三は、実業家である渋沢栄一の孫で、ポケットマネーで学者を集め、日本各地の風習や民具を研究するアチックミューゼアムを創立。つぎこんだお金は、現在の貨幣価値で数百億円だそうな。
戦後、渋沢家はGHQの財閥解体政策で没落。いくらでも財産を守る抜け道はあったけど、彼はさっさと財産と屋敷を国に納め、「ニコニコ没落していけばいい」と言いながら、小さな家に移り住みました。
今のオカネモチで、こんなふうにお金を使える人はいないでしょう。日本の百年後、二百年後を見据えてお金を使った方です。

本を分類する日本十進分類法によると、380番台が民俗学、390番台が国防・軍事。
日本が大陸での占領政策を進めるために、民俗学を利用していたそうで、軍事と民俗学が密接に結びついていることが、本の分類からもわかるってことが興味深い。そんなわけで、戦時中に中国大陸で暗躍していた民俗学者達の話題にも触れられています。

とにかく、私は渋沢敬三さんの人生には、読んでて何度も泣いてしまいます。父は妾と出奔して、父のいない生活と親戚からの冷たい目に耐えなければならなかったり。学者になりたかったのに、渋沢家当主として銀行家にならざるをえなかったり。仕事と旅に明け暮れる彼を理解できずに、妻は子供を置いて出て行ってしまったり。地位も名誉も財力も持っているのに、孤独と忍耐ばかりの人生。でも、その孤独と忍耐をバネにして、彼は懐の大きな男になったのだと思います。

そんなわけで、最近、佐野眞一にハマっています。彼のルポは主観がバリバリ入ってますが、面白い偏見なら結構!まだまだ読みますよぉ。


<関連リンク>
宮本常一(ウィキペディア)
渋沢敬三(ウィキペディア)

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by june_h | 2007-07-08 10:47 | 本 読書 書評 | Trackback | Comments(0)

何かの雑誌だか本だかで、加藤鷹さんの対談を読んだとき
「この人って、AV男優なのに、仙人みたいだなあ」
なんて思ったことがあって、彼にはずっと興味を持っていたのです。
本屋に平積みになったこの本が目に止まったとき、迷わず手に取りましたが、刺激的なタイトルと挑発的な目次ばかりが並んでいて、一瞬、(一応)躊躇しつつも、ビシッとレジに出して手に入れました。

エリートセックス (幻冬舎新書)

加藤 鷹 / 幻冬舎


この本は、セックスのハウツー物でも、テクニック本でもありません。コミュニケーション論に近いかも。
6000人の女性の体から文字どおり「体得」してきた、彼の言葉の数々に、目からウロコが落ちっぱなしです。

ある時、AVの監督とある実験をして「男の○○○○○は○○だけじゃない」という結論に至ったという下りでは、彼の洞察力の深さと人間の体の神秘に、私は思わず感涙してしまいました(^^;

女性ファンが多いというのも、本当、よくわかります。

でも、読んでて哀しくなっちゃった。
男も女も「イく」ってことにこだわりすぎてんだなぁって。
義務感とかプレッシャーとか、いろいろ背負ってたら、そりゃあ楽しくないし、セックスレスにもなっちゃうよね。

私も昔、思い通りにならないからって「おまえの体が悪いからだ!」って言われたことがあって、それからは割り切って演技することにしたんだけど、やっぱり疲れちゃって。
そのときは私が悪いと思ってたんだけど、今思えば、私も気の毒だし、その男も気の毒だったなぁ。
・・・・・なんて思い出したらなんか疲れちゃいました(^^;;;

とまあ、私みたいなバカな思い込みを正すためにも、たくさんの人に読んでほしいっす。


<関連リンク>
加藤鷹オフィシャルサイト
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by june_h | 2007-06-28 20:29 | 本 読書 書評 | Trackback | Comments(0)

「愛する者をエンバーミングできるか?
いや愛しているから他の死体のようには扱えない
いや 愛しているから自分の手で美しく送ってやりたい
どちらがより深い愛情行為なのか」

日本では馴染みの薄い「エンバーミング」を扱った漫画。

死化粧師 1 (Feelコミックス)

三原 ミツカズ / 祥伝社


エンバーミングとは、遺体を消毒、保存処理を施し、また、必要に応じて修復し、長期保存を可能にしようとする技法のこと(ウィキペディアより)。
火葬が一般的な日本では、ほとんど知られていませんが、土葬が多い欧米では当たり前のように行われているそうです。

主人公は、天涯孤独なエンバーマー、心十郎。クールなハーフの美少年。でも寂しがりやで甘えん坊という、女心をくすぐるツボを押さえたキャラです(笑)。
彼は日本で、エンバーミングに対する無知と偏見と戦いながら、様々な人の人生と死に、向かい合います。

死んだ新妻と離れたくなくて、彼女の遺体と共に逃亡する男性。
これから自殺するから遺体をキレイに着飾って、と頼む少女。
「誰の思い出にも残らないで消えるのがさびしい」とホスピスで孤独に泣く、若い独身女性。

エンバーミングを通して浮かび上がってくるのは、現代の日本人の死生観だったり、医療問題や社会問題だったりします。

心十郎のエンバーミング技術は一流ですが、人の死や遺体を、決してスーパーマンのようにズバズバとサバいていくわけではありません。人の死に対して、真正面に向き合うたび、いつも迷ってしまう。彼自身も、父と母を亡くし、愛情に飢えている「弱さ」を持っている。でもその「弱さ」を、自分で認め、抱えているからこそ、遺体の「声」を感じ、亡き人の運命に深く入りこむことができる。
弱いことって、決して悪いことじゃない。むしろ、人間的な弱さを持っていなければ、エンバーマーは務まらない。読んでいて思いました。

「エンバーミングで遺体を温めることはできません。でも人の心を温める事はできるんです」

私はエンバーミングに対して、最初あまり良い印象を持っていませんでした。遺体をあんまりキレイにしたら、故人に対する余計な執着を生むんじゃないかって。

でもこの漫画を読んでいて、エンバーミングは、亡くなった人の尊厳を守るだけではなく、残された遺族のグリーフケアになることがわかりました。

読んでいて思い出したのは、私の友人の死でした。
その友人は、小学校のときからの友達で、生まれつき体に障害がありました。ワガママで、よく癇癪を起こす人ではありましたが、それが彼女にとって、生きる力であり、叫びでした。常に病気を患っていて、苦しみ苛立つ顔しか、私は知りませんでした。
数年前、二十代で亡くなり、お通夜で棺の彼女と向かい合ったとき、今まで見たこともない、穏やかで美しい彼女が眠っていました。
「こんなにキレイな人だったんだ・・・・・でも、死に顔が一番美しい、って思うなんて・・・・・」と、罪悪感を覚えるくらい悲しかった。でも、それと同時に、彼女の安らかな顔を見て、遺族は安堵し、解放されたのも感じました。

私の個人的な感覚では、CLAMPの『東京BABILON』と、手塚治虫の『ブラックジャック』を足して2で割ったような雰囲気の漫画。
エンバーミングとは何か、どうやったらエンバーマーになれるのか、などなど、エンバーミングの基礎知識がわかるのはもちろん、1話完結型で、完成度の高いエンターテインメント性も十分。
連載雑誌がマイナーなせいか、あまり知られていないようですが、とても良い作品だと思います。

でも「死化粧師」ってタイトルは、もっとどうにかならなかったのかねー(笑)。まあ、「エンバーミング」の概念を、なんとかして読者にわかってもらいたいっていう、苦労のあとが感じられるタイトルではあるけど・・・・・。


<関連リンク>
「エンバーミング」(ウィキペディア)

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by june_h | 2007-06-21 21:20 | 本 読書 書評 | Trackback | Comments(0)


「栄一は文明開化のにおいをあたりにまきちらす楼閣から、古河、大倉、浅野をはじめとする新興企業グループを、精力絶倫の男が片っぱしから女をかえて孕ませるように、次々と世に送りだしていった」


佐野眞一のノンフィクションは面白い。佐野眞一の文章も面白い。少しでも文学的にしようと、一生懸命がんばっているのが微笑ましい。でもこの文章はなかなかニヤリとさせられる。幕臣から明治政府の要人、果ては実業家として明治期に活躍した渋沢栄一は、多くの企業を生んだ経済人であり、多くの妾と子供を作った猟色家でもあった。
この本は、そんな渋沢栄一と、息子の篤二、孫の敬三の三代に渡る、渋沢家の物語だ。

動乱期の幕末、栄一は、埼玉深谷の豪農出身で、一代で財を成し、渋沢家繁栄の基を「築いた」人であった。しかし、息子の篤二と孫の敬三は、偉大な栄一が築いた家を「守る」ため、栄一と彼の周囲の期待と重圧に、生涯翻弄されることとなった。

息子の篤二は、家の重圧を抱えきれなくなり、家業を捨て、妾宅で放蕩三昧の生活を送ったため、栄一に勘当されてしまう。残された敬三は、わずか10歳で、渋沢家次期当主の重圧を背負うことになってしまった。彼は、複雑な家庭環境のストレスから、不眠症を患い、体力的にも精神的にも不安定な思春期を送る。

しかし、敬三は、自分と母を不幸のどん底にたたきつけた父を恨んではいなかった。ロンドンに赴任しているとき、友人に充てた手紙で、
「僕は今父の気持ちもいじらしいのだ。けしからんと簡単にはいえないのだ。真から父を気の毒に思う。父は今人知れず、時々母や祖父や我々に、真底許してくれといって泣いていることと思う。どうして父に対して怒れよう。」

と、父を思いやっている。また母に対しても
「人生が淋しいとはつらいものですね。しかしこれも重荷を負った人の子のつとめです」

と健気さを見せている。

これは私の勝手な想像だが、ロンドンに赴任して、家や親戚から距離を置くことで、自分の身の上や父母を客観的に眺められたのではないかと思う。それまでは、母の苦しみや親戚達の悪口で、敬三の心はがんじがらめになっていたのではないかしらん。

敬三はその後も渋沢家当主として銀行経営をする一方、父と妾の面倒を見続ける。父が亡くなったときは、母を苦しめた妾に頭を下げ、遺骨を譲ってもらうことまでした。

篤二も決して、父の栄一が憎いわけではなかった。忙しい栄一の背中を愛していた。篤二は芸術を愛する、心優しい男だった。ごく普通の家庭なら、栄一と仲良く暮らせたはずだ。

佐野眞一は、篤二と妾と渋沢家の関係を、当時の電話帳から、探し当てた。一冊の電話帳から渋沢家の人間ドラマをあぶり出す佐野眞一の取材力はすごい。

やっぱり佐野眞一は面白い。「華麗なる一族」も真っ青になる、濃紺の濃密な一冊。

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by june_h | 2007-06-14 21:37 | 本 読書 書評 | Trackback | Comments(0)


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人間よりも細菌のほうが、ずっと子供思いだな。抗生物質に対抗する部品を娘細胞に渡して、自分は死んでいくんだから。
そして、娘達は耐性を身につけて、強力な細菌に進化する。そして、どの抗生物質も効かないMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)みたいな細菌が生まれてくる。

人間が抗生物質を発見したときから、宿命的に続いてきた、耐性菌の出現と新薬開発のイタチごっこのルポ。

MRSAの院内感染とか、耐性菌の問題は、新しい問題なんだと思ってた。でも、ペニシリンが発見された1940年代からすでに、研究者の間では知られていた。

抗生物質は、人間の寿命を大幅に伸ばし、家畜の成長を促進する「魔法の薬」として、製薬会社によって大量に売られ続けた。耐性菌が出現しても、それを死滅させる抗生物質を新たに開発することで、抗生物質の神話は保たれてきた。耐性菌との戦いは、必ず人間が勝利すると信じて。
比較的安い値段で手に入り、即効性があるため、人々もこれを求めた。抗生物質が効かないはずのウイルス性の風邪にも、医者は万能薬のように処方し、乱用は数十年続いた。結果、MRSAのような強力な細菌が出現し、院内感染に留まらず、市中にも広がった。
60億個の細胞を持つ人間が、1個の細胞ですらない細菌に負けてしまう。これが現実だ。

細菌と人間の戦いだけではない、抗生物質をめぐる研究者、製薬会社、国家の戦いも描かれている。抗生物質の乱用は危険であるとして、家畜への使用禁止を求める研究者と、抗生物質は「成長促進剤」であるとして、ロビー活動を展開する製薬会社。金が絡んだ途端に、捻じ曲げられる真実。

読めば読むほど絶望的になるが、抗生物質に代わる新たな抗菌薬として、ファージやペプチドに対する期待についても書かれている。しかし、実用化にはまだまだ時間が掛かるようだ。

素人考えでは、細菌をやっつけるのではなく、免疫力を高める薬を開発したほうがいいんじゃないかと思ってしまう。新たな抗菌薬を開発したって、どうせ細菌は強くなるのだから。抗生物質のせいで、それまでは何の害もなかった細菌まで毒性を持つようになったとか。恐怖政治で人を押させつけすぎて、かえって憎悪や革命を助長する、どっかの政治ベタな国みたいだぞ。

感染症は老人や子供だけの問題ではない。過労やストレスなどで免疫力が落ちた若い人の間にも、抗生物質の効かない結核が増えているという。

あなたは、手洗い、うがい、してますか?

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by june_h | 2007-06-09 09:47 | 本 読書 書評 | Trackback | Comments(0)

「人間が最も能率を上げるのは、遊ぶときである。このときだけは、どんな人間でも実に能率よく遊ぶものである」


なかなか面白い言葉ですね。働き詰めは良くない。働くときはキッチリ働き、遊ぶときはパーッと遊ぶ。遊んでこそ、新たなアイデアが生まれ、娯楽の需要が伸び、経済が繁栄する。遊びの大切さを良くご存知です。

編集の仕方が問題なのか、具体的なエピソードが少なく、精神論に偏っていて、「年寄りの世間話」の感がなくもないのですが、この方は、根っからの技術屋さんだってことが伝わってきます。
日本では1995年に施行された、製造物責任法につながる概念について、昭和27年の時点で言及されているのも、先見の明の最たるものでしょう。

バイクや自動車には全く興味がない私ですが、車やバイクって、実用的な面はもちろん、経済力のステータスシンボルだったり、レースなんかの娯楽だったり、いろいろな面があることを、この本と本田さんから教えられました。

一番素晴らしいと思ったのは、「デザイン」や「美」というものを、とても大切にされていたこと。この時代の経済界のトップで、こんなことをおっしゃる方は、珍しいんじゃないかしら。ただ単に、どれだけお金をかけたデザインか、どれだけ飾っているか、ということではなく、洗練された製品のボディラインであったり、装うことを通して人間の内面からにじみ出る知性であったり、デザインの本質をとても大切にされていた方です。
そんなわけで、女性のファッションと洋服のラインに、とてもこだわりと興味をお持ちだったよう。だからこんなこともおっしゃっています。

「人間というものは全部美人になれる素質がある。美人になれるかどうかは、自分の、いわゆる磨き方一つにかかっているというわけである。(中略)私は、人間の美しさというものは、そういった天然の美しさだけでなく、さらに磨きあげられた第二の天性が重なりにじみ出してくるところにあると思う。デザインの価値というものはそれと同じである。生まれつききれいな人は、たいてい自分の美しさを支える知性を磨く前に、自分の美しさに溺れてしまうことが多い」


私も美人になっれるっかなー♪


<関連リンク>
本田宗一郎(ウィキペディア)

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by june_h | 2007-06-05 20:33 | 本 読書 書評 | Trackback | Comments(0)

病気になっても薬を飲むな!読んだらそう思う本。

くすりの裏側―これを飲んで大丈夫? (集英社文庫)

堀越 勇 / 集英社


私は小さい時から病弱で病院が大好き!薬も点滴も大好物!のヘンタイ(^^;ですが、最近薬の効きがだんだん悪くなってきたり、明らかに具合が悪くても病院に行くと「異常無し」と言われてしまったりして、現代医療と自分の体についていろいろ思うことが最近多くなったので、手始めにこの本を手に取りました。

読めば読むほどゾッとする話ばかり。決してわざとおどろおどろしく書かれているわけじゃない。私が知らなさ過ぎたのです。

漢方薬は安全なんて言われて飲んでいたけど、中には肝臓に悪いものもあるし、そもそも生薬自体が農薬で汚染されていたり。
私が飲んだことのある薬が「存在しないほうがよい、製造中止にすべき」とされる「デビルピル賞」にノミネートされていたり。
もう私、オヨメに行けません(T_T)

業界にもいろいろ問題があって、日本で開発された薬は治験が曖昧で、国際的信用が低いとか。
効果が無いのに「痴呆症に効く薬」と謳って売りまくって莫大な利益を上げたとか。

読めば読むほど腹の立つ話ばかり。薬を飲むことで健康になるならまだしも、お金と健康を失うことになるなんて!

そもそも病院で薬をたくさん処方されて、国民が薬漬けになってるのは日本くらいなもので、医療行政に問題がある、というより、何か政治的な意図すら感じてしまいます。

その一方で、薬の副作用を主作用にしてしまった興味深い例も。
「悪魔の薬」と言われ、たくさんの奇形児を生み出す原因となったサリドマイド。これが今、ハンセン病やガンの治療薬として再び注目を集めていることを知って驚きました。
それから薬局で買える睡眠薬としてCMでお馴染みのドリエル。これは元々風邪薬の副作用で発生する眠気を主作用として売り出したもの。もちろん、安全な薬というわけではありません。

薬って、やっぱ、体にドクなのね・・・・・。

<関連リンク>
おくすり千一夜(著者のサイト・この本のネタ元)

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by june_h | 2007-05-30 21:02 | 本 読書 書評 | Trackback | Comments(0)