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内田先生と、浄土真宗本願寺派の釈徹宗さんによる掛け合い漫才?のような講義録。日本人の精神性や宗教観、日本の宗教の歴史等々、多岐に渡って語られています。
現代霊性論現代霊性論
実際の授業を本にしたものらしいですが、いいなぁ~。こんな授業なら、最前列でガッツリ受けてみたいわあ\(^O^)/
面白くって、一気に読んじゃいました!

釈さんは、『いきなりはじめる浄土真宗』『はじめたばかりの浄土真宗』でも、内田先生と対談しています。
浄土真宗だけではなくて、日本の新興宗教についても、すごく詳しくご存知なので、驚きです!

明治時代に徹底的に弾圧された、大本教の出口王仁三郎は、その後に日本にできた宗教に、とても大きな影響を与えていたのですね。

印象的だったのは、
「神道は、きれい好きな宗教」
という、内田先生の言葉。
汚れたらすぐ掃除、穢れたら禊ぎ、みたいな(^^;
神道がきれい好きだから、日本人もそうなのか、日本人がきれい好きだから、神道もそうなのか・・・・・と考えている私の部屋は、今、とても散らかっています(笑)。
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by june_h | 2010-11-30 18:29 | 本 読書 書評 | Trackback | Comments(0)

友達に誘われて、足を運びました。
私、美術展は、基本的に好きなのですが、印象派は苦手なのです。
だから、ゴッホが偉大だということは、わかっているのですが、友達に誘われなければ、来ようとは思いませんでした(東京都庭園美術館の「香水瓶の世界」にしようと友達に提案するつもりでした)。
でも。

来て良かった!!

私は、ゴッホについて何も知らなかったんだなぁと、来てよくわかったんです。

ゴッホは、絵画について正式な教育を受けていませんでした。すべて独学です。色彩理論は本で学び、デッサンを何度も重ね、自分が良いと思う画家の作風を真似ることで、良いものを取り入れ、オリジナリティを確立していったのです。
若いときから晩年までの作風の変遷を見ていると、そのことがよくわかります。

最初の方の絵は
「これがゴッホ!?」
と思うような絵ばかり。
なんだかミレーみたいな、暗い色彩の絵が多いのです。
それからも、あるときはドラクロワに、あるときは浮世絵に、あるときはゴーギャンに、と、その時によって影響を受けた画家がよくわかるのです。

また、普通に教育を受けた人なら考えつかないようなこともしています。

絵と一緒に、ゴッホが弟やゴーギャンに宛てた手紙も展示されていましたが、そこには
「完全な静寂を表現するために、私は全ての色を使おうとした」(←うろ覚えだからちょっと違うかも)
とありました。
普通なら、使う色を少なくしようとするかもしれないのに。
私は、度肝を抜かれました(^^;

描き方に晩年まで試行錯誤を繰り返し、画家として認められず辛酸を舐め、精神を病んだ末にたどり着いた、療養所。「サン=レミの療養院の庭」の、なんと美しいことでしょう!

彼の作風は、時代と共にどんどん変わっていったけど、生き方とか、彼が目指したものについては、全然ブレなかった。むしろ、ブレなかったから苦しかったんだろうし、歴史に名を残す偉大な作品を生み出していったのだろうと思います。

P.S.
休日昼間ということで、美術館は大混雑!しかも、隣で日展もやってた。
帰りに、友達とミッドタウンのリッツカールトンで優雅にお茶。なぁんて贅沢な休日♪♪
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by june_h | 2010-11-28 12:01 | 美術展 展覧会 | Trackback | Comments(0)

ヨットとマラソンで世界を一周する「アースマラソン」に挑戦している間寛平さん。この挑戦を支えている日本テレビの土屋敏男プロデューサーと、寛平さんのマネージャー比企啓之さんの本です。

ゴルフの帰り道に「世界一周する」と、なんとなく思ってから、比企さんに相談した寛平ちゃん。面白い!と思った比企さんは早速、ヨットの準備を始めました。
そこへ、『電波少年』を手掛けた土屋さんが合流。ドキュメントバラエティのノウハウと、「第二日本テレビ」でのネットを使ったコンテンツの経験を生かして、Webと連動させた企画を提案。ちょうど、オリンピック招致運動とも重なって、吉本興業と日本テレビ、電通が共同出資する「アースマラソン」が始動しました。

この本を読んでいて思ったのは、とにかく、
「寛平ちゃんの実現力がスゴい!」
やりたい!と誰かに話すと、次々と協力者が現れるのです。周囲の方々に恵まれているなぁと思います。
比企さんは、企画が決まってもいないうちから寛平ちゃんとヨットに乗るために、会社を辞める相談をしていたし、寛平ちゃんの奥さんは、資金を作るために、家を担保に借金しようとしていたのです。

そうこうしているうちに、スポンサーも集まり、企画も決まり、あれよあれよと言う間にスタート!今は中国を走っていて、ゴールは間近です。

私も、時間があるときに、アースマラソンのページや寛平ちゃんのツイッターをフォローしています。

普段は、あまり馴染みの無いイスラム教国も、一歩ずつ寛平ちゃんが歩いてくれたので、とても身近に感じました。
ネガティブなニュースにしか出て来ないクルド人達は、とても好奇心いっぱいで寛平ちゃんに親切だったり、男性とあまり接触しないイスラム教徒の女性も、子供を通して寛平ちゃんに差し入れをしたり。
私も一緒に旅行しているようで、楽しいです。

どうか、無事に帰って来ますように。応援しています!
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by june_h | 2010-11-25 12:39 | 本 読書 書評 | Trackback | Comments(0)

人は口から食べて尻から出すとたい。どがん上品なことば言いよっても、そがんせんと死ぬとだけんね。人は食らうところのものばい。そして尻から出さんといかんばい。


政治学者 姜尚中さんが、母親について綴ったエッセイ。
「母 オモニ」姜尚中「母 オモニ」姜尚中
尚中さんの母、禹順南(ウ・スンナム)さんは、日本占領下の朝鮮半島で生まれ、16歳のとき、日本で働く在日朝鮮人に嫁ぐため、東京に渡る。
戦中、差別と生活苦の中、日本を転々とし、最後には、親戚を頼って熊本にたどり着いた。

戦後の混乱期、食べていくために、養豚とどぶろく作りをした。金目のものを見付けるため、どぶさらいもした。彼女の第3子として尚中が生まれたのは、朝鮮戦争が勃発した1950年だった。

尚中にとって、母親は、激しさを感じさせた。
悲しそうに「茶摘み」を歌い、「アイゴー」と叫んで、よく泣いていた。幼くして亡くなった長男の命日には、同じ在日朝鮮人の巫女を呼んで、激しく題目を唱えた。
母親の背景にある「朝鮮」は、尚中にとって、遅れていて、気味が悪くて、気持ちを重くさせる存在だった。母親を始めとした家族とも熊本弁で会話し、ずっと日本名の永野鉄男を名乗っていた。「尚中」を名乗るようになったのは、大学生のとき韓国に渡った後だった。

廃品回収業が軌道に乗ってからは、暮らし向きは良くなったが、同胞の在日朝鮮人達は、不遇のうちに亡くなった者も多かった。
二つの国に挟まれて、家族と引き離された者、行方不明になった者。
尚中の母親も、数十年間、祖国に帰ることはできなかった。帰った頃には、尚中の祖母は亡くなっていた。

母親は、勉強する機会がなかったので、文字はほとんど読めなかったが、生きるために必死で働いた。世間にまみれながら、人間について学んでいった。

オモニは世の中のことはいろいろ実地で勉強してきたけん。人のオモテもウラもわかっとるつもりたい。世の中にはよか人もおるし、悪か人もおる。情けのある人もいれば、なか人もおる。
そうばってん、どの人にも同じことは、カネが嫌いな人はおらんということたい。カネは、あるにこしたことはなか。でも、カネに汚なかこつしちゃいかんけん。困った人がおるなら、カネは使わんと。カネは使わんと、増えんけんね。

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by june_h | 2010-11-23 21:01 | 本 読書 書評 | Trackback | Comments(0)

現在の天皇の侍従長を務められていた、渡邉允さんの手記です。
天皇家の執事 侍従長の十年半天皇家の執事 侍従長の十年半
心がすさむようなニュースが多い中、読んでいてとても癒されました。
渡邉さんの美しい言葉遣いで綴られた文章と、天皇陛下の真摯な姿勢に心が洗われる思いで、お風呂上がりのリラックスタイムに少しずつ読んでいました。

天皇陛下は、国家行事や儀式でご挨拶されることが多いのですが、通りいっぺんではなくて、来る人に合わせて言葉をいちいち変えているのだそうです。人を大切にされていることがわかります。
とにかく、どんな人にも行事にも、こんなに真面目に向き合っているのかと思うくらい、心を込めていることがわかり、読んでいて何度も涙ぐみました。

私が特に感動したのは、沖縄周辺に伝わる琉歌についてのエピソード。
沖縄には「琉歌」と呼ばれる、独特の歌があり、短歌が「五七五七七」であるのに対し、琉歌は「八八八六」の定型詩です。
天皇陛下は、硫歌を作るために、数千に及ぶ琉歌を学び、ウチナーグチで琉歌を創作できるまでになったそうです。本当に大変な努力家で、頭が下がります。
また、歌会のお題を「駅」にしようという話が持ち上がったときも「沖縄には(当時)駅が無いので、ほかのものを選んではどうか」とおっしゃったとか。すべての国民のことを考えていらっしゃいます。

天皇陛下が皇太子だった時代、昭和天皇の名代として、海外を訪れることも多かったそうです。中には、反日感情が強い国もありますので、妨害行為もあったりして、緊張の連続だったそうですが、誠意を持って対応され、相手国の国民感情を少しずつ和らげていかれました。

また、渡邉さんの人柄にも、好意を持ちました。
侍従になってまだ間もない頃、立ち位置を間違えて、天皇陛下を隠してしまったり、装束の冠を落としてしまったり。かわいらしい失敗談が、微笑ましいです。

とにかく、どの文章からも、天皇皇后両陛下に対する敬意がにじみ出ています。そこがまた感動します。
最近、世間一般では、「けなしたモン勝ち」みたいな風潮になっているので、改めて「敬意」とか「他者への理解」とかについて、考えさせられた本です。
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by june_h | 2010-11-22 20:33 | 本 読書 書評 | Trackback | Comments(1)

お友達の舞台です。スッゴい面白かったです!

ただの一人舞台なんじゃなくて、いろいろ手をかけて作られていて。
ずっと続けている舞台だけあって、共演者やスタッフさん達含めて、一つの世界になっているのを堪能しました(^^)

歌もオリジナルなんてビックリw(°o°)wちゃんと、作曲者とアレンジャーといて、本格的。

歌あり踊りあり。そして、ボディラインにウットリです♪♪
ダンスができる身体っていーなー(^。^)/

もう10年も続けていて、ライフワークにしているんだそうです。
どんなだか、ちょっと語ってみます。

■和田勝子
生徒会の真面目な女の子が、メイド喫茶でアルバイト体験をするときの戸惑い。ツンデレだし、メガネだし、ということで、私は最初から「萌えキャラ」だってことは、わかってました(笑)。

■マツハチコ
10年前にいなくなった、犬のハチを待ち続けて、駅前でアンジェラ・アキのように弾き語りする女の子。
髪の毛を何気なく触る仕草がツボでした。こういうキャラクター作りは、誰もが納得するリアリティと、どこか面白さがあるデフォルメが必要だ!と、納得。

■ミルキィ応援団
AKB48のようなアイドルグループ登場!スカートもスタッフさんのお母様の手作りなんてスゴい!可愛らしさもセクシィさもあって、なかなかナイスな衣装でした。

■真山ミキ
ちょっとイッちゃってるセラピスト。芋洗坂係長のような男性を相手に、不思議なセラピーが始まる・・・・・。
いちいちやるキメポーズが決まり過ぎ。キレイだわぁとウットリ♪

■小川町やよい
引きこもりの校長を必死で支える女性の教頭。最初、本人だってわからないくらい、なりきってた(^^;;;
教育者として、四角四面な彼女だけど、どことなく見え隠れする下心が笑っちゃう(^。^;;;

最後に、不思議なシャンソン歌手も登場!
いや~、ダンサーでもボイストレーナーでもあって、歌って踊れてスゴいな!
また誘っていただきたい!です(^^)
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by june_h | 2010-11-20 21:33 | 観劇 観戦 コンサート レポート | Trackback | Comments(2)

自然出産で有名な吉村医院を追ったドキュメンタリー映画。
監督は、カンヌ映画祭でグランプリを受賞した『殯の森』の河瀬直美さんです。

吉村医院では、妊婦さん達が雑巾がけや薪割りや農作業など、昔ながらの作業をして、お産に備えます。
現代の生活は、圧倒的に運動不足になるため、お産を重くしてしまいますし、赤ちゃんもなかなか降りてこないからです。
お産が大変なものになったのは「病気」ではなく「文化的問題」だと、院長の吉村先生は言います。

黙々と作業をこなす妊婦さん達は「身体を動かすと気持ち良いし心も軽くなる」と、だんだん逞しくなっていきます。「身体の声」が聞こえるようになってくるんですね。

お産も、とっても気持ち良さそう。
「ありがとう」「やっと会えたね」お母さんは、感謝の言葉でいっぱい!
生まれた赤ちゃんも、なんだか誇らしげです。

この病院には、全国から妊婦さん達がやって来ます。前のお産で、「お産は怖い、危険」だと言われ、陣痛促進剤だの会陰切開だの帝王切開だの吸引分娩だの鉗子分娩だの、自分がモノのように扱われ、お産が「思い出したくもない経験」になってしまった人も少なくありません。
こうなると「この子のせいでひどい目に遭った」という心身の経験が残って、子供を愛せなってしまうこともあります。
そんなわけで「お産を楽しい思い出にしたい」と思って、吉村医院を選ぶ人が後を絶ちません。中には、自身が外科医の妊婦さんもいました。

吉村医院に通いながらも、結局、大きな病院で帝王切開して出産した母親は、インタビューから敗北感のようなものが見え隠れしていましたが、私は、決して間違ってなかったと思います。
「もし、私が江戸時代に生まれていたら、私とこの子の両方が助かることはなかったと思う。この子を抱きたいと思ったから、現代の医療にお世話になった」
子供が無事に生まれたんだもの。誇って良い!と思いますよ。

この映画は、院長の吉村正という、一人の産科医のドキュメンタリーでもありました。
吉村先生の娘さんが
「外の家族の世話ばかりして、話を聞いてくれなかった。もっと家族に寄り添って欲しかった」
と吐露していることから、吉村先生が、家族とのコミュニケーションを犠牲にして、妊婦さん達に尽くしていることがわかったし、
「今の産婦人科学会は「母親が死んではならない」「胎児が死んではならない」と言っているが、それは間違っている。死を否定することは、生を否定することだ。母親も赤ん坊も死ぬときは死ぬし、生きるときは生きる。それは、神が決めること。結果を受け入れることだ。でも、今の産科医は、ここまで言うことができないだろう。私は、本当は、産科医を辞めたかった。今日、こうして言えて良かった」
と、おっしゃっていることから、先生が孤独に戦ってきたことも伝わってきました。

恐らく、今まで大変な批判を受けてきたのだろうと思います。先生ご自身も、神様ではなく、一人の人間として、迷い苦しみながら産科医を続けてこられたのだと思います。

先生の言葉を聞いて、死を恐れ、否定する現代医学の姿勢こそが、医療訴訟の増加を招き、医師自身の首を絞めているのかもしれないと考えました。
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by june_h | 2010-11-18 12:46 | 映画 感想 | Trackback | Comments(0)

肥料も農薬も耕すことも不要な、稲の「不耕起栽培」を考案した岩澤信夫さんの本です。
究極の田んぼ究極の田んぼ
通常、稲は、春に田起こしをして水を張り、代かきをしてから苗を植えていきます。
一方、不耕起栽培の場合は、冬の間に水を張っておきます。
こうすると、雑草の種が地表に出て来ないので、除草剤が要りません。
また、水中のイトミミズが、どんどん土を食べて栄養たっぷりの堆肥を作ってくれるので、肥料も要りません。
田んぼは、タニシやメダカなどの生き物でいっぱいになりますが、害虫がいても天敵が現れて食べてくれるので、農薬も要りません。
こうして育った稲は、病気や天候の変化に強く、1993年の東北の大冷害でも、例年並みの収穫量を確保できたそうです。

ただ、不耕起栽培を確立するためには、いくつか問題がありました。
代かきをしていない、固い土地に苗を植えるには、専用の田植え機が必要でした。この田植え機を開発してくれるメーカーがなかなか現れず、完成までに何年もかかってしまいました。
また、肥料は、イトミミズ頼みだったので、収量が予測できませんでした。そこで、田んぼに張る水を調節することで、イトミミズの活動を制御しました。

こうして、不耕起栽培を確立していきましたが、肥料や農薬が売れなくなることを恐れた農協が、岩澤さんに、講演会の場所を貸さなくなったりして、露骨に妨害してきたんだそうです。

利権ができていると、それを覆すのは、難しくなります。上水道も、もっとエネルギーを使わずに水を濾過・浄水する方法があるそうですが、あまり知られていません。

実は、お金やエネルギーをそんなに使わなくても実現できそうなこと、他にもたくさんありそうですね・・・・・。
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by june_h | 2010-11-16 18:23 | 本 読書 書評 | Trackback | Comments(0)

麻原彰晃の四女、聡香(仮名)さんの手記です。
聡香さんは、現在21歳ですが、60歳くらいの方の手記に思えました。

私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか ~地下鉄サリン事件から15年目の告白~

松本 聡香 / 徳間書店


教祖の娘として生まれ、教団内で育った聡香さん。両親は忙しく、二歳から一人で寝ていて淋しかったと言います。父親とは、親子というより、教祖と弟子の関係で、怒らせたら、例え娘でも何をされるかわからない、緊張感のあるものでした。

地下鉄サリン事件が起こった1995年同時、聡香さんは、わずか6歳。
ここから、彼女の流浪の人生が始まります。

信者や母親、祖父母などの元を転々とする毎日。
父親は逮捕され、母親と姉達は、教団内の権力闘争に明け暮れ、聡香さんを利用したり貶めたり。
学校でもいじめを受けましたが、彼女は、地下鉄サリン事件のことを15歳になるまで知らなかったんだそうです。
周囲の信者や家族を信じられなくなった彼女は、ジャーナリストの江川紹子さんに後見人になってもらいましたが、結局うまくいかず、解消しました。

幼いときから満足に愛情を与えられず、どこにも居場所がない。心から信じ、頼れる人がいない。教団の内と外の価値観を両方わかっているから、どちらにもなりきれない。
しかも、自分が楽しいことをしたり、恋愛感情を抱いたりすると、罪悪感を抱いてしまうのです。心が休まるときがありません。
これなら誰だって病んでしまうでしょう。何度も入院していますし、自殺未遂もしているそうです。
スピリチュアルカウンセラーに何度か相談したこともあるそうですが、教団の教義と同じ部分もあったりして、苦しみが増してしまうのだそうです。

そんな聡香さんだからかもしれませんが、教祖だった父親が「父と娘」として接してくれた数少ない思い出を、とても大事にしています。
一緒に歌を歌ってくれたこと、プレゼントしてくれたこと・・・・・彼女なりに、愛を受け取っているのを感じました。
そして、父親を始めとして、収監されている信者達と、面会したり文通したり。信者の中で、一番人間的に接しているのではないでしょうか。

サリン事件の日のことは、私は今でも鮮明に覚えています。私の父は、花粉症が悪化して、たまたま仕事を休んだのですが、いつもの電車に乗っていたら、たぶん巻き込まれていました(同僚で被害に遭った方がいたそうです)。
ですので、ありがたいことに、この本を客観的に読めるのだと思います。

聡香さんには、是非生きていて欲しいと思います。彼女にしかできないことが、きっとあるはずですから。
私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか
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by june_h | 2010-11-15 18:19 | 本 読書 書評 | Trackback | Comments(4)

ロンドン行きの機内で見た映画です。飛行機は、わりと最近上映した映画が多くて嬉しいな(^^)

ちょんまげぷりん [DVD]

ジェネオン・ユニバーサル


最近、夫と離婚したシングルマザーのひろ子と、彼女の息子の友也の前に現れたのは、江戸時代からタイムスリップしてきた侍、木島安兵衛。彼は、居候させてもらう代わりに、家事の一切を引き受けるという。ひろ子は、安兵衛のおかげで仕事に集中できるようになり、何もかもうまく行っていたが、安兵衛が洋菓子コンテストで優勝したことから、三人の生活が変わっていく・・・・・。

興味深かったのは、錦戸亮が演じる安兵衛の所作。歌舞伎で知ったことですが、侍が座るとき、敵意が無いときは、刀を右に、敵意があるときは、刀を左に置くのだそうです。
で、安兵衛は、ひろ子と会ったばかりのとき、刀を右に置きかけて、すぐ左に置き直しました。でも、次に会ったときは、ちゃんと右に置いていました。安兵衛の心の変化がわかります。

そして、歩き方も。
安兵衛は、現代人のように、手をぶらぶらさせて歩いていません。洋服を着ているときでも、ちゃんと、腰に手を置いて歩いていました。
所作で「別の時代の人」を区別しようとしていたようです。

この映画は、仕事に家事に忙しい女性が、
「ダンナに家事やって欲しい!」
「ダンナに立場を理解して欲しい!」
「ダンナにもっとしっかりして欲しい!」
という願望を形にした女のロマン的映画?というだけではなく・・・・・。

安兵衛がケーキ職人としてバリバリ働くようになって、
「拙者が働くから、ひろ子殿は仕事を辞めれば良い」
という、離婚した夫にも言われたであろう言葉に傷つきつつも、最後、
「お互いが必要で、お互いに一緒にいたい」
という本質的なことに気づくんですよね。
私、思わず泣きそうになったので、隣の友達が眠っているのを確認してしまいました(笑)。

この後、機内で、到着までに若干時間があったので、映画はさすがに見られなかったので『ロンブー』の録画を見ました(笑)。
映画だけじゃなくて、バラエティ番組や、教養番組も見られるんですね。楽しくて、飛行機の中で全然寝なかったから、時差ボケに苦しんだんですね、私(^^;

ところで、『ちょんまげぷりん』は、マンガが原作なんですね。
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by june_h | 2010-11-12 20:05 | 映画 感想 | Trackback | Comments(0)