「誰かのためにつくウソ」

今まで私が見てきた、西川美和監督作品、『ディア・ドクター』『夢売るふたり』『ゆれる』の3つの共通しているポイントです。

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でも、結局は、みんな自分のためにウソをついているんです。
そして、「私は人のためにウソをついている」と自分に言い聞かせて、自分に対してもウソをついている。
映画を見ていくと、だんだんこうした欺瞞があぶり出されてきます。

『ディア・ドクター』では、偽医者だということは、関係者は皆、わかっていたんです。
「理想の医療のために」皆、黙っていました。
でも、本当は、製薬会社のMRは薬をたくさん売りたいからだし、看護師は離婚した医師の夫と築くはずだった理想の医療をやり直したかったから、知らないフリをした。

『夢売るふたり』でも、妻は「夫の夢のため」に結婚詐欺を働きますが、本当は、自分の依存心からでした。
騙された女性達も「愛する男性のために」お金を工面するけど、結婚してもらって、心身共に安心したかったから。

『ゆれる』では、殺人容疑者になってしまった兄を「救うため」に、弟は奔走するのですが、兄は弟にこう言いうのです。
「おまえは、俺を助けたいんじゃない。自分が殺人犯の弟になりたくないだけだ」
これを聞いた弟は、どう思って、どう行動するのか。
ここからラストシーンの、兄弟が対峙するまでが見せ場です。

この映画で、兄役だった香川照之は、『キネマ旬報』の対談で西川美和監督を絶賛!
「こういう兄弟の会話、絶対あるよ!」
「脚本の書き方教えてよ!」
と監督相手に熱くなっていたのが印象的でした(^^;
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by june_h | 2012-09-21 12:17 | 映画 感想 | Trackback | Comments(0)

西川美和監督作品ということで楽しみにしていましたが、期待を裏切らない映画。
今回も唸らされました。うー!

里子が、札束に火を点けて、貫也が入っている風呂の中に投げ入れて「釜茹での刑」にしているとき、ふと思いました。
似た話、確か落語にあったな・・・・・「蹴転(けころ)」だっけ。
金に困った男が、元遊女の妻に客引きさせるけど、結局、嫉妬しちゃってうまくいかないって話。この映画は、男女が逆だけど。

でも、もう少し見ていくと、完全に、三遊亭圓朝の世界。
恐妻が、頼りない旦那をけしかけて、エグいことをさせるという・・・・・。
圓朝物では、奥さんは、ただ「怖くて強くて残酷な」だけのキャラですが、西川監督は、女性目線で、妻 里子の人物像と内面を鋭く描いています。
この映画を見ていると、里子の独り言が、ずっと聞こえているようでした。

一見、貫也がダメダメで、里子がしっかり者のように見えるんですけど、結局は、貫也に依存しているんですよね。

「私には、人を惹き付ける力がなかった。だから、彼の人生に乗っかっただけだった」
「人生、自分の足で立たないと、卑怯なことになっちゃうわよ」

それで、里子は、自分のように、依存せずにはいられない女性達を、貫也を使ってハメていく。

貫也が女性と一緒にいる間、里子は、一人エッチして、手を拭いたティッシュで鼻をかんでる。なんたる孤独と寂しさ・・・・・。

重量挙げの巨漢の女性と寝る貫也に、「気の毒ね」と言う里子。
しかし、貫也は、言った。
「お前の目に映っている世界の方が、よっぽど気の毒だ」

横浜のクイーンズスクエア(みなとみらい駅)にある長い長いエスカレーターを、一人で降りていく里子。
惨めな気持ちで、どんどん落ちていっているのが、よくわかりましたが、このカットにゾッとしました。
私も正しく、暗い気持ちで、あのエスカレーターを降りていったことがありましたから・・・・・。

机で寝てしまった里子を担いで、寝床に寝かせる貫也。
このカットも、里子が貫也ナシには、一人で歩けないことを暗示しています。

最初は、店の開業資金のために結婚詐欺を始めたはずなのに、だんだん、何のために始めたかわからなくなってくる。

降りしきる雨の中、転んでしまい、差し出された子供の手を取る。
ああ、私は、こんな小さな子供の手にさえすがらなければ起き上がれないほど、惨めな存在なのだ・・・・・と。

そして、里子と同じように、男に依存せずにはいられなかった玲子が、自立して街中を歩いている姿を見て、眩しく思うのです。

「転機」は、やって来た。
貫也が、殺人未遂で逮捕され、服役する。
実際は、彼がやったことではないが、彼が使っていた包丁によって、犯人として追い込まれる。
これも、圓朝物によく出てくる「刃物のカルマ」ってやつ。

ラストシーンは、一人黙々とフォークリフトを操る里子の姿。
一見、惨めに見えるけど、ようやく里子は、これで「独り立ち」できたのかもしれません。

とにかく、一つ一つのカットに無駄が無い上に、セリフよりも雄弁です。

阿部サダヲも松たか子も頑張りました。

阿部サダヲのベッドシーンがいっぱい出てきましたが(笑)、妻とは一つもなかったですね(^^;
松たか子は、短いラストシーンのために、フォークリフトの免許を取ったんですよね。

松たか子が、里子役をやっているのも、とても納得。
今まで、松たか子は、太宰治の妻とか、金子みすゞとか「ダメ夫に仕える賢妻」役が多かったと思うんですが、今回の里子では、こうした「賢妻」の陰がよく描かれているように思います。

とにかく、いろいろ胸に突き刺さる映画でした。
男性が見たら、全然違った感想になるのではないでしょうか。
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by june_h | 2012-09-13 12:30 | 映画 感想 | Trackback | Comments(2)

いやぁ、こんな映画もあるんですねぇ・・・・・。
ものすごく感動したとか、大泣きしたとかじゃあなくて。
今まで観たことのない映画でした。本当に。

香川照之をして「若くてキレイなのに、腹ん中は真っ黒」と言わしめた西川美和監督、その意味がよくわかりました。

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まず、何がスゴいって、映画の人物達の、映画になる前の人生も、その後の生活も、どんな顔して生きているかまで、想像できちゃうこと。

医師免許が無いのに、村で医療行為をしている主人公の伊野。
彼は医者の父親に憧れ、彼自身も医者を目指したが挫折し、医者に対して強烈なコンプレックスを持っていたのではないだろうか。
そして、医療機器メーカーの営業として就職し、皆からペコペコされる医者を目の当たりにしてきて、忸怩たる思いを抱く反面、金儲けや自己保身に走る医者を軽蔑してきたのではないだろうか。
そんな思いがあったから、彼は、無医村で、彼自身が考える「理想の医者」として振る舞ったのかもしれない。

そんな彼に日常接してきた看護師と製薬会社の営業は、彼がニセ医者だって気づいていたに違いない。
でも、彼が描いた理想の医療が気持ち良くて楽しくて、一生懸命彼を「本物」に仕立て上げようとした。

看護師の大竹は、医師の男性との離婚歴があった。
結婚した当初は、二人でいつか開業して、本当に患者のためになる治療をしていこうね、なんて、夢を語り合っていたかもしれない。
でも、現実は、日々の診療と経営に追われて、理想どころではなかったのだろう。看護師だからということで、夫から一段低く見られ、苛立ったこともあるだろう。
やがて二人の間に会話は無くなる。別れた原因は、相手の浮気だったのかもしれない。
でも伊野は、そんな自分の理想を体現してくれた。医者と看護師、お互いに支え合って、地域の医療を担う。皆に感謝され、喜ばれる。まさに、自分の夢ではないか!

製薬会社の営業の斎門は、ノルマに追われる毎日に、嫌気がさしていた。薬をいくら売っても、実際に飲む人は誰だかわからない。やりがいを感じられなくなっていた。
でも、伊野は、そんな自分に、患者と直に接する機会を与えてくれた。患者の喜ぶ顔が見られる。ありがとうと言ってもらえる。なんて素晴らしいんだろう!

研修医の相馬は、村人から神のように崇められる伊野に心酔した。彼の父親は病院の院長で、経営のことばかり考えて、ちっとも医者らしくなかったからだ。
尊敬の念を真っ直ぐぶつけてくる彼に、伊野は、
「オレはニセモノだ」と本心を吐露する。しかし、相馬は、それを比喩だと受け止める。あなたは、理想の医者じゃないですか!みんな喜んでいるじゃないですか!と。それに対し伊野は
「村人は足らんことを受け入れているだけや」と。
伊野自身は、自分がニセモノだと思っているから、周囲の熱狂に対して冷めている。

ウソだっていいじゃない。
だって、誰も困ってないし、傷ついていない。
むしろ、みんな喜んでる・・・・・と「共犯者」達は思う。

しかし、みんなが笑顔になればなるほど、不安と罪悪感は高まる。
急患が運ばれてくるたび、伊野が患者の身体に針を入れるたび、バレるのではないかと、緊張が走る。

しかし、とうとう終わりはやってきた。

ある患者の一人娘が帰省してきた。彼女は、東京の病院に勤務する医者だった。母親の体調と、家にあった大量の薬を不審に思った彼女は、伊野に、母親の病状と治療方針を問いただす。完璧に説明仕切った伊野を、彼女は信用するが、彼女がある言葉を口にしたとたん、伊野は、外出。そのまま失踪してしまう。カルテを見た彼女は、すべてを知る。

私は、彼がウソをやめてしまう瞬間を、大きな実感を持って見ていた。
彼女は別に、決定的な言葉を口にしたわけではなかった。
何かがギリギリまでたまっているとき、それがあっけなく破れるのには、ほんの些細なきっかけで十分なのだ。

「あなたは村を訴えることもできるんですよ」という刑事に、彼女は「訴えられるのは、むしろ私の方じゃないですか?私が来なければ、すべてがうまくいっていたのに」と。

伊野がニセ医者だとわかったとき、村人達の態度はコロッと変わる。なんて恐ろしいことをしてくれたものだ、と。まるで魔法が溶けたように。

ホンモノの医者って、なんだろう?
医師免許さえ持っていれば「医者」になれるのか。そう思えない医者もたくさんいるけど。
例えば、同じように、婚姻届を出せば、その二人は「夫婦」になれるのか?実際の関係は、「ただの同居人」だったり「親子」だったり「主人と奴隷」だったりするのに(笑)。
みんな、職業とか、続柄とか、いろんなラベルを持って生きているけど、内実は、まったく違うことだってあるのだ。

それから、この映画について、もう一つスゴいと思ったのは、役者自身のカラーが、まったく気にならなかったということ。

主演の笑福亭鶴瓶をはじめとして、中村勘三郎など、キャラの濃ゆい役者がたくさん出ていたというのに、みんな映画の世界の人として見られた。
松重豊なんて、普段とまったく違う顔に見えた。

伊野が失踪した後の行動も、とても納得のいくものだったし、ラストシーンも・・・・・いろんな解釈があるのだろうけど、自分なりに納得できるものだった。
遠回り 遠回りするのさ
どんな道草にも花は咲く

「偽」という漢字は、「人の為」と書く。
伊野は、人のために自分を偽ったのだ・・・・・我ながらウマい!・・・・・でもこれはウケウリだけどね(^^;

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by june_h | 2009-07-11 21:57 | 映画 感想 | Trackback(1) | Comments(2)