2011年 03月 21日
東日本大震災 帰宅難民顛末記:その2「何もわからず放心状態になり」
震源地は何処だったんだろう。
どれくらいの規模だったんだろう。
かなり大きな地震だったことは確か。
でも、何もまだよくわからない。
とりあえず、父と母に
「いま日比谷。大丈夫だから」
とメール。父は私が都内にいることすら知らないだろうし。
でも、アンテナはバリバリ立っているのに、トラフィックが込み合っていて、なかなか送れない。電話もつながらない。
通り過ぎる人達が噂している。
「宮城沖が震源だってよ」
「震度7らしい」
・・・・・震度7!?
マグニチュード7じゃなくて??
私は耳を疑った。
携帯のワンセグでテレビを見ると、気仙沼で船が漂っている映像が映ったが、必要な情報が手に入らない。
地下鉄日比谷駅の入り口に歩いてみた。
立っていた人に尋ねると、やはり、さっきの地震で電車が止まっているとのこと。
そうだ。ぼんやりしている場合ではない。
これから会う友達に、すぐに連絡しないと、都内に彼女が出てきてしまう。
私は「今の都内は危ないから、また今度にしよう」と連絡。やっぱりなかなか送れなかったが、彼女から了承メールが。良かった。
その後、また余震が来るかもしれないし、ひょっとしたら帰れなくなるかもしれないので、コンビニで、水とチョコとカロリーメイトを購入(このときは、お客さんがまだガラガラだった)。
こんな状態じゃあ、映画は中止じゃないかしら・・・・・と、映画館の窓口に向かおうとしたとき、
「キャアあああーーっ」
悲鳴が聞こえ、周辺のビルから次々人が出てくる。
余震だった。
(つづく)
東日本大震災 帰宅難民顛末記:その1「その瞬間、日比谷シャンテの地下1階で」