2013年 04月 19日
「想いの軌跡 1975-2012」 塩野七生 著 新潮社
タイトルの通り、1975年から2012年までの、様々な媒体に寄稿されたエッセイが収録されていますが、年代順ではなく、ジャンルごとにまとめられているので、80年代の次は、2000年代だったりしてバラバラ。
なので、寄稿年月日を隠しながら読んで、いつ頃に書かれたものか、推測しながら楽しみました(笑)。
塩野さんの文体は、30年以上、ほぼ変わらないので、こういう「遊び」ができるんですよね(^^;
ローマ法王を決めるコンクラーベの話が出て来たから「ベネディクト16世の話かしら」と思ったら、一つ前のヨハネ・パウロ2世の話だったり(^^;
本当は、この本を出すつもりがなかったのだと塩野さん。
なぜ、出版する気になったのか、前書きに理由が書かれていますが、書き方がカッコ良くてシビれます!
同じ事実でも、ああは、なかなか書けません。
塩野さんの文章は、基本的に、である調ですが、一つだけ、ですます調の文章があります。
それは、国際政治学者の高坂正堯先生への追悼文です。
大学の時、友達がよく「こーさか先生、こーさか先生」って、言っていたのを思い出しました(笑)。
最後のエッセイに、恐ろしい言葉が。
書評は、書評される書物の評ではなくて、書評する人の評であると思う
これは、まさに、その通りだと思います。
私がブログでこうして、書評とも呼べないような「読書感想文」をダラダラ書き連ねている行為は、
「本の内容を紹介する行為」
なのではなく、実は、
「自分自身を曝け出している行為」
に過ぎないわけで(笑)。
賢明な方ならば、文章や内容を一瞥しただけで、「ブログの主」の知識レベルや考え方、性格までが推し量れるというもの。
鼻で笑って華麗にスルーされていかれる方もいらっしゃるだろうと思います(^^;
でも、このことを頭に入れていれば、書評を書く側は、謙虚になれますし、作者側も、いい加減な書評で一喜一憂しなくて済みますね。
塩野さんには、いつも教えられます!