2008年 03月 06日
『うつから帰って参りました』 一色伸幸 著 アスコム
タイトル通り、彼の「うつ病漫遊記」が中心となっているが、突然発病したわけではなく、うつ状態、というか、小さいときから薬物中毒になりやすい素地があったことがわかる。
一つは、彼が頭痛持ちで、幼いときに頭痛薬を大量服用してラリったときに、薬の気持ち良さを知ってしまったこと。それからは、頭痛薬欲しさにたくさんの薬局を回るようになったという。
そして、彼の職業が「不安定な」脚本家だったこと。どんなに売れていても、明日の仕事が保証されているわけではない。仕事が無くなる恐怖、死への恐怖と常に向かいあっていた彼は、眠れなくなり、睡眠導入剤への依存を強めていく。
「サザンを唄っても、以前は胸を熱くした歌詞が、メロディに乗せるべき単語の羅列にしか見えず、心に響かない。「美味」を舌では認識出来ても、それが脳の「感動」に伝わらない。
なにをしても、そういうもどかしさが、常にあった。僕と現実の間に、一枚、岡本理研級の薄い膜があるようだ。
ナマじゃない。
この一語に尽きる。」
当時の状態の描写は、脚本家らしい、体感的にわかる絶妙な描写だ。
奈美:好きって、なに?
京子:一緒にいたい人。離れていると気になる人。あんまり気になるからいなければいいのにって思っちゃう人。でもいなくなることなんて想像もできない人。ぺろって舐めたくなっちゃう人。嫌われると殺したくなる人。・・・・・それからね
「一色さんが書くキャラクターって、モデルがいるんですか。それとも、全員、自分なんですか」
そんなふうにドリカムの吉田美和に言われたように、彼の脚本のセリフには、彼の当時の心境がそこかしこに綴られている。他のエッセイと違うのは、こうした「自分史」である作品達の断片と共に語られていることだ。
特殊なのは、彼の持つ死の恐怖が、彼の書いたキャラクター「安曇祐子」として結実してしまったことだ。『病は気から 病院へ行こう2』に登場する彼女は、ホスピスで死を待つ癌患者。
「人間は、必ず死にます。身勝手な同情や涙で臭いモノに蓋をするのは自由だけど、私に蓋をしないで。私はあなたたちの未来よ、自分に蓋をしないで」そう訴えながら、常に彼の脳裏から離れない彼女の存在が、次第に彼を追い詰めていく。
仕事はおろか、日常生活にまで支障をきたしてしまい、とうとう彼は妻に連れられて、精神科の門を叩く。うつ病と診断された彼は、心底ホッとしたという。
「病気と決まった以上、治療すればいいのだ」
しかし、だからといって、体がすぐに回復するわけではなかった。
こんな彼を支えたのは、妻だった。療養中の彼の世話をし、辛抱強く彼の話に耳を傾け、彼と共に回復を待った。子供達と妻に申し訳なく思い、彼は毛布をかぶって泣いた。
徐々に回復していたとき、彼は石井ゆかりという女性を書いた。『彼女が死んじゃった。』に登場するキャラクターだ。彼は彼女を「僕の代わりに自殺した人」だという。
彼女の物語を書くことで、彼は回復していく。このドラマを「見る「抗鬱剤」にしたい」という思いで書いた。
ゆかりの妹:・・・・・あたしは、生きているのに死んでいる。・・・・・お姉ちゃんは死んだのに、みんなの心に生きている。
現在は回復し、趣味のダイビングを楽しみながら『ショムニ』の脚本をてがけるなど、活躍している著者だが、ふと、自殺した仲間・・・・・古尾谷雅人や野沢尚を思い、こう言う。
「なにが彼らと僕を分けたのだろうか。
分からない。
ひとつだけ思い当たるのは、狡さだ。
病気になった途端、僕はそれまで見向きもしなかった家族に甘えることを躊躇しなかった。仕事を放棄し、臆面もなく妻の胸に縋りついた。
僕を救ったのは弱さだった。」
胃に潰瘍が見つかったとき、癌だと思って観念した彼は、妻に覚悟するように話をした。彼女は黙って受け入れていたが、潰瘍で命に別状がないことがわかったときの妻の行動に、私は涙が止まらなかった。
彼はこの「病気」を経験することで、石井ゆかりのように、正に一度「死んだ」のだ。そして再び「復活」する過程で、彼は大変な苦しみを味わったが、家族にとっても闘いだったに違いない。
だがこの過程で、彼が家族の大切さに気付き、お互いのことがより深く理解でき、絆が強まったのだとしたら、彼にとって、病気は、神さまからのギフトであり、人生の宝物になったのだと思う。
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お久しぶりです~。
鬱というのは、完全に治るということはなく、鬱と上手く付きあっていかないといけないようですね 「寛解」というそうですね
鬱で自殺する方が絶えませんね;; 本当に残念です;;
本当にうつが酷いときは自殺もできないので、悪くなりかけているとき、あるいは治りかけているときが一番危ないようですね~
治りかけは少し元気になってきているので、そこで落ちこむと自殺に進んでしまうこともあるのかもしれませんね~
芝居、音楽、読書が愉しめているうちは大丈夫かなって思っています~。
(ミ*^w^*)彡
>鬱と上手く付きあっていかないといけないようですね
> 「寛解」というそうですね
そうそう。だからきっとこの作者も、今でも精神的にツラくなるようなこと、きっとあると思うんですよね。でも、以前よりずっと、上手に付き合っているような雰囲気を感じました。
>本当にうつが酷いときは自殺もできないので、
>悪くなりかけているとき、あるいは治りかけているときが
>一番危ないようですね
著者も全く同じことを言っていました。一番ヒドい状態のときは、死ぬ気力がありませんからね。
あと、鬱の人に対する励ましは厳禁!私も具合が悪かったときに、
「私は最近ダンスを始めて毎日がとっても楽しいです♪あなたもダンスすればきっと具合が良くなりますよ♪」なんていうメールをいただいて「日常生活も送れないのに、どうやってダンスをすればいいんだろう・・・・・」と激しく落ち込みました。相手に悪気はないと思うし、私の状態がわからないから仕方ないと思いましたけどねー。ツラかったです。
そうそう、ほんとに具合が悪かったら、趣味をすることも苦痛ですから。「がんばって怠ける」に限ります(笑)。